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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年12月4日
  • 読了時間: 2分

 オートバイで転倒し怪我で手術した男性の話を聴いた。

 この人は普通の真面目な感じのおじさんという人で、ヤバイ暴走するタイプではなかった。ただ、事故を起こした時は急いでいて、ついスピードを出してしまい、そのうえ焦っていたので転倒してしまったそうだ。



 それで気絶し、気が付いたら病院だった。

 オートバイが転倒したのを目撃した誰かが通報してくれて、救急車で運ばれたという次第だった。不幸中の幸いで、命は助かり、怪我で手術しなければならなかったが後遺症なく回復した。ただ、あの時なぜ急いで焦っていたか、思い出せないと言う。何かで急いで焦っていたことは明確に記憶しているが、その訳が転倒で気絶したと同時に頭の中から記憶が消えてしまった。


 それで最初は、何か困ったことになるだろうと彼は心配したそうだ。

 しかし、どうしても思い出せない。それで、仕方ない、いずれ困ったことになったら、その時に思い出せるだろうと覚悟した。ところが、そのままいつまでたっても何も起こらない。ということは、完全に忘れてしまっても問題ないことだったわけだ。

 つまり、そんなどうでもいいことでオートバイを飛ばして事故って怪我したということだ。しかし、その時は急がないといけないような気がしていたのだろう。


 それで教訓。

 彼は言った。まず普段から余裕を持つようにすること。そして、その時は焦っているから凄く重大なことだと思っているだけで、後で冷静になって考えると大したことないどころか忘れてしまってもいいことがあり、少なくとも命がけの価値があるなんてもの、この世にそうあるわけがない、ということを肝に銘じておけば長生きできるはずだ。



 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年12月2日
  • 読了時間: 2分

 近所の開業医に心電図をとって診てもらった。

 まったく異常なしということだった。なんでこんなことをしたかというと、前に不整脈が酷くて心電図にも表れていたからだった。あの時は本気で、もうじき死ぬのか、すると悦ぶというより安堵する奴らが何人かいるなあと思った。

 ところが、最近は何度も心電図をとって、まったく異常なしである。



 これについて、その開業医は言った。

 そういうのは、よく、ストレスが原因になっている。それは確かにあった。ひどかった。その環境が変わったから、不整脈も起きない。また、あの時は、あのひどい状態でよく生きていたものだと不思議なくらいだったから、今なんか絶対に大丈夫だ。


 この開業医は、かなりの高齢だが仕事はしっかりしていて長いこと医師をやってきた人だ。

 その息子が診療所で色々な機器を扱っている。それよりもっと年下の若い医師が近所で心臓を専門にした診療所をやっている。この人に、前のひどい状態の時、カテーテルで治せると言われた。その小さい診療所ではできないから、大きな病院で専門医が実施すればリスクは極めて少ないと言う。


 この話を、高齢の開業医に話した。

 そうしたら、カテーテルは必要なくて話が大げさだと指摘された。そして、その近所の若い開業医が、自分の診療所ではできないから大きな病院でと言うさい、紹介状を書こうかと言い、さらに文章料金は何千円と言うので要らないと断ったことを伝えたら、高齢の開業医は笑っていた。

 あれは開業したばかりだったからだろう。それで、若い開業医は、紹介状でもなんでも稼ごうということだったはずだ。それが丸判りだから、既に長くやっている開業医は思わず笑ってしまったのだろう。


 とにかく、もう心臓は平気になり、まさに「憎まれっ子世に憚る」である。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年11月29日
  • 読了時間: 2分

 本に付いている帯は、選挙で候補者が付けているタスキのようなものだと言われる。

 だから、選挙のあと議員がタスキを付けてないのと同じことで、本を買った後に帯を付けている意味は無い。あくまで宣伝だから。



 それで、買った本から直ちに帯を取る人がいる。

 すると昔は、落丁などの不良品があったさい、交換のさい書店で嫌がられることがあったそうだ。今は製本技術の進歩で落丁は無くなったから、帯を取っておく意味は古本屋に売るためだけだろう。

 

 そもそも帯が必要かという問題もある。

 よく、帯の宣伝文句に釣られて本を購入したが、読んだら内容が思っていたのと違っていたからガッカリしたという人がいる。そんなことがあるから、帯の宣伝なんて当てにしないで購入の判断をするという人もいる。

 それで出版社で最初から帯を止めてしまったりもする。


 あと、出版社のセンスが悪い場合もある。

 これが内容にそぐわないけれど売れるというならともかく、どう考えても不適切であるため売れ行きに悪影響していることも少なくないのだ。その意味でも、本の帯はとっておく価値がない。


 前に、帯の宣伝文句を知り合いのコピーライターに依頼した。

 そのさい、料金がよけいにかかるといって出版社が難色を示したから、こちらで料金を負担して払ったのだが、その出来上がったコピーを出版社が勝手に改竄してしまい、それで意味が変になってしまったのでコピーライターが怒り、こちらは金を払ったうえ恥をかかされ散々だった、ということがあった。

 なのに、改竄の張本人である出版社の経営者は、書き換えは正しいと言って譲らなかった。もっと大手の出版社で仕事をしているコピーライターなのに、それより遥かに零細な出版社の経営者が、自分の方こそ正しいと言う。他人の仕事を後から勝手に弄って得意がるというのは創造性を欠いた思い上がりだし、委託したくなければ拒否し、任せたなら信頼する、というのが仕切る役割の人にとって鉄則のはずだ。それを守れない人は、そのうち必ず大きな失敗をするものだ。

 それで迷わず絶交したのだった。


 過日、自宅の本棚で、付けたままにしていた本の帯を外して捨てた。

 その重量を図ってみたら、大した量でないけれど何百グラムにもなった。棚や床の負担というほどではないが、量が多くなれば無駄に重いので、古本屋に売る気がないなら帯なんて捨ててしまうに限る。こんな習慣、早く無くなったら良い。

 
 
 
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