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​炬火 Die Fackel 

更新日:2021年6月24日

 中国は人口抑制のための「一人っ子政策」をとってきたが、このまま続けると少子高齢化になるからと止めたそうだ。

この政策の影響で男女の人口比が不均衡になった。同じ一人っ子なら跡取り息子が欲しいからと、内視機器で覗き女の子だったら中絶してしまう家が続出したからだ。

 それで、嫁の来手が無い息子がいる一方で、器量良し娘は引く手数多となり「娘さんを、うちの息子の嫁に」と札束を積み上げるようになった。

 この対策に、中国の政府は「たくさんの男性から優秀な婿を選んだほうが家の繁栄になる」などと言って、女の子のほうが得だと広報していた。

 その反映か、プロパガンダの一環かと思われる映画やドラマが中国で製作されていた。

例えば『変面』という映画があり、これは中国が軍閥に支配されていた時代、瞬時に面を被っては取り換えて次々と変身する芸を伝承してきた老人が、跡取り息子がいないので金で世話してもらったものの、騙されて女の子をもらってしまうという話だ。

しかし、老人が軍閥に殺されそうになったのを女の子が助け、どうせ死にかけたのだし、命の恩人だからと、女の子に芸を伝承させる結末である。

 さらにディズニーのアニメ映画『ムーラン』が中国で実写映画化される。こちらは中世の中国、地方の名士の娘ムーランが、おてんば娘で親は困っていたところ、フン族が万里の長城を奇襲攻撃、皇帝は全土に非常警戒宣言を発動、ムーランの父も剣を取るが、前の戦争で負傷した傷が充分に癒えておらず、これで戦えるのかと心配したムーランは男装して代わりに義勇軍に入る。そして活躍により国の危機を救い、皇帝に称賛され、軍の隊長を婿に連れて帰るという話だった。

 これが実写の映画になると、CGを使って派手に戦闘を描くからムーランが強すぎる。あと、ちょっと愛国的であるのが鼻に付くという人もいる。

 ところで、アニメのムーランは、こんなふうである。実写のムーランは今時の美人になっている。なんでディズニーのアニメは絵柄が可愛くないのだろうか。アナとエルサが何とかまあ可愛いけれど、他はだいたいひどい。特に白雪姫なんて何であんな風貌なのだろうか。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2020年8月7日
  • 読了時間: 2分

更新日:2020年8月8日

 『がんば!!れいわロボコン』を作ったからとYouTubeの東映サイトで最初のシリーズを配信しているけれど、これは70年代を理解するのにちょうどいい。

 例えば、ロボコンのエネルギー源はガソリンで、また値上げで困ったとか、その居候する家の長男が、父親との交流を書いた作文で学校の先生に絶賛され、これを授業参観日に読むことになり張り切っていたら、父親は日曜に出社を命じられてしまい逆らえないとか、当時のことが色々と出て来る。


 『がんば!!れいわロボコン』は大ベテランの浦沢義雄が脚本ということで、この人だから中華料理店が舞台だし、ヒロインのロビンは性格がぶっ飛んでいるような感じ、というのも当然のこと。

 もともと、テレビドラマで非日常的な主人公が居候する家庭を舞台にしたホームコメディといえば、60~70年代にかけて『快獣ブースカ』や『コメットさん』、石ノ森章太郎の原作では『好き!すき!!魔女先生』があった。これらは市川森一が脚本だった。

 それが80~90年代の東映と石ノ森章太郎による『不思議コメディシリーズ』になると、『カリキュラマシーン』などでシュールなギャグを展開していた浦沢義雄が参加し、『ブースカ』ふうのものは『ペットントン』になり高視聴率で、『コメット』ふうのものは『魔法少女ちゅぅかなぱいぱい』になり、『魔女先生』は『美少女仮面ポワトリン』になる。

 そして今度は『ロボコン』である。もとは上原正三が主に脚本を書いていた。彼は先日亡くなった。80歳台だった。浦沢義雄は69歳で健在。その脚本で『ロボコン』である。これは面白いかも。


 ところで、こちらはホームページに付随した新しいブログのハートマークにクリックが乏しい。根性で書いているのだが、ハートマークが無いと、あの「ロボコン0点」と同じ気持ちである。




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  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2020年7月30日
  • 読了時間: 2分

更新日:2020年8月1日

 ある芸能人の自殺が報じられた。

 そこへ、過去に自殺した芸能人を羅列して、何か意味ありげにツイートしているマスコミ人がいた。原因に共通点があるなら意味あるけど、病気を苦にしての自殺など一般人と特に変わらないことだった。共通点は芸能人であることだけ。芸能人の自殺がよほど珍しいという話でもない。何の意味があるのだろうか。

 また、相変わらずマスコミが実家に押しかけたりインターホンを押したりの厚かましく不謹慎な行動に対する批判も挙がっていた。

 これについて、あるフリーランスのジャーナリストが、そんな行動力は政治家や官僚の不祥事の際にこそ発揮すべきだと指摘していた。

 しかし昔テレビで大橋巨泉氏が「突撃レポートを芸能ではなく政治や経済でやるべき」と言ったけれど、すると多くの芸能レポーターが「こっちは政治や経済の記者になれなかった落ちこぼれだから、仕方なく商売になりやすい芸能人の追っかけをしているのだ」と反論した。

 だから批判すべきは、芸能記者ではなく、政治経済記者たちの怠慢である。

 かつて『コミック雑誌なんていらない』という映画があった。今ではアカデミー受賞者の滝田洋二郎監督が、低予算のピンク映画ばかり撮っていたけれど社会性のある映画を撮った最初の作品である。

 この主人公はワイドショーのレポーターとして芸能人を追いかけまわしていたが、早稲田大学政経学部卒でジャーナリストになりたくてテレビの業界に入り、ウォーターゲート事件を追及したワシントンポストの記者を尊敬していると言っていた。だが、筑紫哲也のようになりたくて、なりそこなったとテレビ局の人たちに笑われていることを知ってしまい苦悩する、という話だった。

 では落ちこぼれでない人たちは何をやっているのか、というのが問題だ。これはマスコミだけの問題ではない。他の職種でも、落ちこぼれてないはずの人たちは何をやっているのだろうか。

 
 
 
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