top of page

​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年9月16日
  • 読了時間: 3分

 米が足りなくなって麵類を食べる機会が増えた。

 それで思い出すのは、スパゲッティの食べ方だ。イタリア人が不可解だと言うのは、スパゲッティを食べる時に日本人はタバスコをかけること。日本では、ざる蕎麦にワサビ、うどんに七味唐辛子、ラーメンに胡椒、というように麵類に香辛料を付けるので、その感覚でスパゲッティにタバスコを付けるのだろう。

 あと、食べる時にスプーンを使うか。イタリアではスプーンを使わないのか。フォークに巻きつけてスプーンを添えるのは、本来の食べ方ではないという話を、よく聞く。あれは和式の食べ方だ、と。

 もちろん、それで食べ易すければ良いのだ。


 ただ『ゴッドファーザーpart2』で、スプーンを使っている場面があった。

 それは回想の場面でのこと。ビトコルレオーネの最初の相棒であるクレメンサが、ビトとサルバトーレと一緒に食事の時、スパゲッティをフォークに巻きつけるさいスプーンを添えて、挟むようにして口へ持っていっている。

 そんなのはイタリア人の食べ方ではないということなら、監督が注意するはずだ。フランシスコッポラ監督はイタリア系で、そのあと『地獄の黙示録』の東南アジアロケに、いつもパスタを空輸させて食べていたほどだから。

 ということで、スパゲッティを食べるさいスプーンを使ってもいい。



 『ゴッドファーザー』といえば女性に人気がある。

 映画が好きな女性と話をすると、だいたい『ゴッドファーザー』を観ていて、好きな作品だと言う。ヤクザ映画なのに。

 これは、アメリカのギャング映画と違ってイタリア系のマフィアの話だから、だろう。アメリカのギャングは企業みたいに組織化された犯罪集団だからビジネスライクだけど、イタリアは家族や血縁を重んじ家父長的な文化が強いので犯罪組織も家族として結束をしている。その中で、女性のことが「極道の妻」の悲哀として描かれている。

 最後の場面でマイケルに妹のコニーが泣きながら食ってかかり「裏切り者でも私の夫よ、殺すことないでしょう」、これに居合わせたマイケル妻のケイが「ほんとうなの」と訊くとマイケルは「仕事の話に口を出すな」と言う。そして側近がドアを閉じてしまう。あのラストは可哀想だったと、多くの女性は言う。part2ではマイケルがドアを冷たく閉じる。

 part2で、妹は兄を許すと言う。跡を継いだのだから父親のように強くならないといけなかったと理解して。それは家族のためで、かつて父ビトは庶民を食い物にする顔役に怒りの銃弾を打ち込んだ。この顔役が憎たらしいので観客は溜飲が下がるけれど、やむにやまれぬ事情があったからのことだった。だから凄惨な殺戮の直後にビトが家族のところへ帰り、赤ん坊を抱いて「マイケルよ、お父さんはお前を愛しているぞ、ほんとうに愛しているからな」と小さい手をとって言うと観客は涙ぐんでしまう。

 しかしケイは夫の家業を嫌悪し、子供を連れて出て行くという。子供は渡さないと言ってマイケルは妻だけ叩き出してしまう。コッソリ子供に会いに来たケイは、コニーから「もう行って。マイケルが帰ってくる」と言うけど、ケイは未練たっぶりで、玄関を出ても息子にお別れのキスをするように言うが、息子が躊躇っているところでマイケルが来てドアを冷酷に閉める。その向こう側からすすり泣きが聞こえる。

 こうした、夫は家族のために戦っているけれど、それに妻が理解をしないだろうから口出しさせないとかいうのは、なにもマフィアに限らずよくあることだ。そこで生じる悲哀のドラマを女性は喜んでいるわけだ。


 というわけで米不足だけどスパゲッティを食べているから平気な者としては、その食べ方から『ゴッドファーザー』を思い出してしまったのだった。

 

 
 
 

更新日:2025年7月15日

 アニメーション映画『この世界の片隅に』が八月に期間限定で再上映されるそうだ。

 これは、物語の主人公が今いたら百歳になるからという企画らしい。この映画は話題になっていた。戦時中のことについて遊郭のような所が出てきたり一般的ではない部分があったので、そこに不評もあったが、全体的には好評だった。

 そういう一般的でないけれど実際にあったことではなく、ありえない場面も描かれたので、そこは良くないという指摘もあった。



 それは主人公が戦艦大和を目撃する場面だ。

 ここで一緒にいる軍人が、あれは大和だと言い、乗組員が二千人以上になる大型艦であると説明する。しかし戦艦大和は最高軍事機密だったから、この場面になる広島の呉では、造船所の近くを通る列車の窓にブラインドを降ろさせたほど神経を使っていた。だから一目で戦艦大和であると言うことはありえなかった。

 このあり得ない場面は『宇宙戦艦ヤマト』にも出てきた。過去の回想場面で、見た庶民が、あれは戦艦大和だと言う。


 どちらも、あり得ない場面に変わりはない。

 だが『宇宙戦艦ヤマト』より『この世界の片隅に』の方が、より問題である。なぜなら、主人公の女性が趣味で風景画を書いていたら、それをスパイと疑われる挿話があるからだ。その女性の身内は、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑い出してしまうが、官憲は真面目だった。

 こういう話も出てくる戦争の悲劇を扱った物語だから、それなのに詰めが甘いと言われてしまう。


 滑稽なことは戦時中の映画でも既に起きていた。

 あの当時、海軍は映画会社に、戦意高揚のためプロバガンダ映画の製作を命じながら、軍艦は軍事機密だから撮影を一切させなかったし、あの円谷英二が特撮のセットで描こうとしても外見の写真でさえ軍事機密だからと見せなかった。

 それで、外国の軍艦の写真を元に想像でデザインしたミニチュアセットを作り撮影したら、これを見た軍人が実際と違うと言って怒った、という滑稽なことになった。

 このように、軍事機密というのは滑稽なことを生む。


 最近また「スパイ防止法」の制定を言う政治家たちがいる。

 あれは八十年代に統一協会が金集めの口実で運動していたものだった。だから、これが明らかになると白けて立ち消えとなったのだ。

 あの時の中曾根康弘首相は、統一協会と密接だから当然ながら歩調を合わせていた。それで「日本はスパイ天国」だから取り締まりが必要だと言っていた。その証拠に亡命KGB将校が証言したという話を、CIAの息がかかっていると言われた『文芸春秋』の発行する各雑誌が載せていたけれど、その内容は自分を大物スパイに見せかけるため虚勢を張っていて滑稽だと言われたものだった。

 また、スパイ天国なら、日本で最も大手を振って活動しているのはCIAだろう。それは除外するという法律を作ることは無理だ。対米隷属の度が過ぎると批判されていた中曾根首相にとって、CIAを取り締まり日本を対米隷属から対米独立に転換するなんて、想像を絶することだった。


 このように、どこまでも滑稽なことになるのである。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年7月9日
  • 読了時間: 3分

 予言が話題になっていたらしい。

 そんなことは一部でのことだろう。地震か何か危険なことの予言だったのか、なんであれ詳しいことを知る価値はないだろう。

 ところが、ここで奇妙なことを言い出す人がいる。これは年配の人である。今は年配の人なら、子供のころに話題だった『ノストラダムスの大予言』が外れたことによって馬鹿らしさを知っているから騙されないけれど、今どきの若い人は免疫が無いというのだ。そんなことを言っている人の方が、あまりにも馬鹿らしい。おそらく頭の弱い子供だったはずだ。


 『ノストラダムスの大予言』は七十年代のベストセラーだ。

 この本は、ノストラダムスが書き残した当時の世相の記録を曲解して未来の予言であるとし、これまでに的中し続けたという歴史上の例を挙げて、それはことごとく牽強付会だった。

 そして、社会は混乱し破滅に近づき、最後は1999年7月に人類は滅亡する、という予言がされていて、これは核戦争が起きるということだろうという解釈だった。

 やはり売れただけに面白くて、当然のこと続編が次々と発行されるのだが、見事に二番煎じ三番煎じ四番煎じとなっていくので、出版社の意向をうけて著者は仕方なく書いているのが見え見えで、その続編を読んだ人は笑っていたものだ。



 その本の趣旨は警鐘だった。

 これは子供でも解ることだった。予言が当たるかどうかはともかく、ほんとうに人類が破滅してしまわないように、環境汚染や核軍拡を食い止めようという訴えかけだった。

 そして、本を基にした映画が製作されると、異常気象や奇形生物の発生などの不気味な現象や、社会不安から集団自殺する若者たちなどが描かれ、最も恐ろしいのは核戦争であるということで軍事の記録映像と特撮映像の組み合わせによってディザスター見せ場が作られている。けれど物語では、その危機について国会で討議されたさい、それを人類の英知によって乗り越えようと首相が力説することで締めくくられるのだ。この演説は観念的で具体性がないけれど、何度も首相の役を演じている名優=山村聰の話術に観客は感動させられたものだった。


 「予言」のとおり人類は破滅してしまうと思った人は子供にも少なかった。

 ただ、「予言」とは別に、そうなる可能性もあり、だから、汚染や軍拡をやめないといけない、という警告として受け取られていた。

 そして実際に1999年7月になっても人類は滅亡しなかったけれど、その時に予言は外れたと一応は言っている人達がいた程度で、すでに『ノストラダムスの大予言』そのものが殆ど忘れられていて、知っている人でも、とっくに、あれは予言ではないと解っていたし、その前に「冷戦」が終了して核戦争の危機は遠のき、その代わり世界各地で民族紛争などの小競り合いから悲劇が起きることが増えていて、それをなんとかしないと悲惨だということに関心が向いていた。

 

 こういう社会常識を知らない年配者がいるわけだ。

 それもそのはず、『ノストラダムスの大予言』を間に受けていたけれど当たらなかったと戯けたことを言っているのだから、不勉強である以前に地頭が悪いのだ。そんな出来損ないの年配者が「我々はもう騙されないけど若い人たちは違う」などと言っている。

 今の「予言」にしても、おそらく遊びの感覚だろう。それを間に受けたと勝手な解釈をして、間に受けた先輩として勝手なことを言っている。そのように間に受けた人達は、話にならないほど極少数であるはずだ。


 

 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page