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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年6月6日
  • 読了時間: 3分

 プロ野球の落合博満監督が選手だった当時のこと。

 高校生活の思い出を語る中、彼は映画館の入場料のため授業料を使いこんでしまい後で言い訳するはめになったと語っていた。熱心に観ていたのはジョン-ウエイン主演の西部劇だったが、ミュージカルの『マイフェアレディ』が当時ヒットしていて、これは面白くて気に入ってしまい何度も映画館に行きその度に入場料を払って繰り返し観たと語っていた。


 それくらい大好評だった『マイフェアレディ』で、主人公が唄う場面はマーニ-ニクソンという歌手が吹き替えている部分があった。

 まずオードリー-ヘップバーンが自分で唄い、その録音に合わせて演技しての撮影だったが、そのあとマーニ-ニクソンが映像を見ると同時に片耳にヘッドホンを付けて、オードリー-ヘップバーンの姿を見て歌を聴きながら唄った。

 その残っている音源を聴くとオードリー-ヘップバーンもきちんと唄っていて、これを使用しても問題は無かったが、マーニ-ニクソンの歌唱はさすが本職の表現力があった。これがオードリー-ヘップバーンは好演していたのにアカデミー賞の候補にならなかった一因と言われている。


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 マーニ-ニクソンは他にも『王様と私』など人気作の吹き替えを色々と担当していた。

 彼女は美声で表現力があるだけでなく演者に調子を合わせ、まるで女優当人が唄っているように聴かせるのが上手で、吹き替えだと気づかないし、吹き替えだと知っても映画毎に別の歌手が吹き替えていると思ってしまうくらいだった。

 彼女は八十歳代の後半まで比較的長生きし、その訃報では「吹替の名歌手マーニ-ニクソン死去」と日本でも報じられていて、映画ファンたちがブログで語っていた。


 では、ここからは他の映画ファンが語っていない話である。

 SF映画『エイリアン』の日本公開当時のプログラムで、スタッフ・キャストの紹介の中、音楽ジェリー-ゴールドスミスの項目で、「妻は『マイフェアレディ』などの吹き替えで知られるマーニ-ニクソン」と記載されていた。

 これはジェリー-ゴールドスミスではなくアーネスト-ゴールドのことだ。同じくアカデミー賞の作曲家である。ゴールドの方がマーニ-ニクソンと夫婦だったことがあり、子供を三人設けている。

 

 ジェリー-ゴールドスミスの配偶者も歌手であるし、彼が音楽を作曲した西部劇『夕日と挽歌』の主題歌を唄っているエレン-スミスはゴールドスミスを縮めてスミスと名乗っている実の娘であった。

 そのうえゴールドとゴールドスミスだから勘違いしたのだろう。どちらもユダヤ系の姓で、ゴールドがアカデミー賞の『栄光への脱出』はイスラエルに逃れようとするユダヤ人の話だし、当時ゴールドスミスはユダヤ人虐殺を扱ったテレビドラマ『QB7』の音楽でエミー賞を受けていた。

 それらから勘違いしたのではないかと考えられるが、時々あるプログラムの間違い記述にしても酷い方だったのではないか。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年6月2日
  • 読了時間: 2分

 今、映画界の暴力と差別が問題になっている。

 そのさい、例えば監督が女性にセクハラしていても、作品の価値は別だと主張する人もいて、これに対しては、仕事と別の私生活が悪い場合と、仕事に関わっている場合とは一緒くたにできないという指摘が出ている。


 そのなかで、やり玉に挙げられているのが「米在住の映画評論家」町山智浩氏である。

 彼はよく日本の政府を批判しているが、それは表面的で、決してリベラル派ではないという評価がある。もちろん、彼は露骨な反共タカ派であることが発言の数々から明らかであるが、そもそもリベラル派にとってそれは普通のことだ。ここで問題になっているのは女性に対するあからさまな蔑視発言であり、こういうことは政治性ではなく人柄が原因である。


 ただ、彼の世界情勢に対する発言から、彼の女性蔑視が人間性の問題であることは推察できる。

 例えば、ロシアの軍艦モスクワが火災で沈没した事件についての彼の発言である。ウクライナ軍が攻撃したと発表し、その戦果であると言うのに対してロシア軍は未確認であるとしながら、一方で報復攻撃と見られる軍事行動をした。この意味が彼には解らなかった。そうSNSで公言していた。

 実際にどういうことだったのか不明だが、少なくとも相手はやったと言うのだから、それならやり返してもお互い様になる。こういうことは子供の喧嘩と、ほとんど同じだ。

 自分が中学生のとき同じ組に、よく「あいつのことをぶん殴ってやったぜ」と言いふらしては侮辱したつもりの奴がいた。この被害に自分も遇ったので、怒って一方的に殴ったら、そいつは「一方的に暴力をふるわれた」と教師などに訴えたけれど、「嘘をつくな、先に殴ったのはオマエだからオマエが悪い。少なくとも、お互い様じゃないか」と言われて、逆に非難されてしまった。

 こういうことが、おそらく少年時代に喧嘩したことがないため、彼には理解できなかったのだろう。


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 また、彼としては、やられたことが悔しいので認めたくないとしか解釈できないのだろう。

 しかし、現実に歴史のなかでアメリカやロシアなど大国がしてきたことは、逆に、やられたことを針小棒大に言って、これを口実にしてやり返すのが常である。

 ところが、殴られても殴り返せず泣き面になりながら「痛くないもん」と言うのが精一杯のいじめられっ子だった人には解らないものだ。 

 

 そして、そういう人の中には、自分より弱い者をいじめるようになる奴がいるもので、それが大人になると、よく、女性差別する男性となるものだ。彼もその類の人なのだろう。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年5月20日
  • 読了時間: 3分

 ハリウッド映画『フォレストガンプ』についての続き。

 アメリカと同様に日本でも大ヒットしていた公開当時、テレビ番組で出演者から、面白いけれど、映画館に入場料を払って観るのではなくレンタルビデオでよい内容だし、いかがわしい映画だ、と言われていた。


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 この映画の物語は、主人公フォレスト=ガンプの半生を描いたもので、彼(トム-ハンクス)は軽い知的障害があって知能指数が低めでも、稀な俊足のため大学にスポーツ推薦で入ることができて、アメリカンフットボールでボールを抱えて走ると誰も追いつけないという活躍ぶりが、まずユーモラスに描かれる。

 また卓球も得意で、国技とする中国に行って親善試合をする。この映画は中国で公開されると、「ガンプ」が親しみにくいので翻訳では「アガン」にされていた。日本では『フォレストガンプ/一期一会』だが、中国では魯迅の小説にかけて『アガン正伝』になっていた。

 また、彼は戦争に狩り出されるとベトナムの戦場で負傷者を救う。俊足を生かし負傷者を抱えて安全地帯まで何度も往復する。これで勲章を受けるガンプ。その後は、戦傷で身体障害者になっていた元上官と一緒に始めた事業で成功したり、走って大陸横断してみせ話題になったり。最後は幼馴染の女性と結婚する。


 しかし、この内容では、主人公が知的障害者という設定の必然性がない。

 例えば、ハリウッド映画『レインマン』では、知的障害のある男性(ダスティン-ホフマン)の特殊な能力を利用して、その弟(トム-クルーズ)が博打で一稼ぎするけれど、これは知的障害が原因で極端な記憶力になることがあるからで、モデルになった人物もいる。

 日本の『裸の大将』では、主人公が旅先で観た風景を帰ってから記憶により写真に撮ったように絵で再現してみせるが、これは知的障害者で天才画家といわれた山下清の実話に基づいている。

 ここで山下清は、知的障害のために配慮できず「兵隊の位なら…」とエライ人に言ってしまうなど何でも率直だから可笑しく、これが社会的地位に対する風刺にもなっている。


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 フォレスト-ガンプも、原作の小説では主人公が同じような言動をしていた。

 例えば、戦地から戻り、帰還兵として反戦集会で証言を求められると、戦争がいかに惨いかと率直に語り、また政府や軍が催した式典で英雄として演説することを期待されているのに、対応を変える発想が無くて、反戦集会と同じように、戦争がいかに惨いかと率直に話す。

 こうした部分が、映画化では無くなっていたのだ。


 そして、コメディなのにヒューマンドラマ仕立て。

 だから、いかがわしい映画だと公開当時から指摘されていたし、今では懐かしい名作と言う人たちがいる一方で、あれは今でいうと「感動ポルノ」だったと言う人たちがいるのだ。

 これを、先日、公民館の無料上映会で観たさい、改めて考えたのだった。


 
 
 
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