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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年11月9日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年11月9日

 スタイロンの小説『ソフィーの選択』を読了した。

 これは前に読みかけて放置していた。それを急に思い立ち最後まで読むことにした。随分と長い時間が経過していた。とても長いので、しんどかった。

 また、物語の進展のわりに説明が多いので、こういう小説は読むのが大変である。このような小説の方が好きな人もいるらしいが。



 映画化は既に観ていた。

 八十年代の公開で、ソフィー役はメリルストリープだった。小説とは違った感じである。もちろん物語が小説から端折ってあるから、その影響もあるだろう。語り部の青年と一緒に海へ行ったソフィーは、泳ぐと言って全裸になって見せるから動揺させられるが、そのあと泳ぐソフィーが死ぬつもりで沖に進むから止めるという部分は映画に無い。


 この映画は公開当時に映画館に行かなかった。

 音楽は『追憶』などの映画音楽で知られるマービンハムリッシュで、その曲をFM放送で聴いて印象的だったから、のちにテレビで放送されたさい観た。そのあと新聞のテレビ欄の投書に、カットが酷いという苦情が載っていた。観ていない友達に奨めたのに、と。

 それでビデオで再見した。テレビ放送でカットされるなら他にもっと酷いのがいくらでもあるという感想であった。しかし映画館で観て未見の友に奨めた人は、ガッカリかもしれない。


 そして今では昔と変わったと思ったことがある。

 自分で映画の製作・脚本・監督をするなら『ソフィーの選択』のような映画がやりたい。スタイロンの小説やメリルストリープの映画が特に好きではないが、このような内容の物語を一生懸命に描きたいと思う。

 かつては、やるなら活劇や特撮やコメディーやホラーがいいと思っていたけれど。 

 これは、自分がやらなくても、もっと思い入れが強い人たちがやっている、という外的要因もあるが、それ以上に自分の中で何か変わったという内的要因がある。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年11月4日
  • 読了時間: 2分

 西尾幹二が先日死んだと報じられた時「評論家」の肩書だった。

 はたしてあれが評論をしていたのか疑わしいけれど、本業のドイツ文学では知られて無かったことは確実である。マスコミに出てくる大学教授なんて、だいたいそんなものである。

 彼が勤めていた電通大について、学生たちは何とも思ってないのかと言ってた女性がいた。あんな言動ばかりしているのがセンセイなんて、ということで。それについて電通大の卒業生が、何か言っている学生ならいるはずだと指摘していた。他の大学でも似たようなものである。



 西尾幹二は『エクセホモ=この人を見よ』状態であった。

 そのニーチェ先生は梅毒の影響で神経を侵されていたから、その著書のような言動をしていたけれど、西尾幹二センセイも原因はわからないけれど似たような言動であった。

 また、ニーチェの言動はナチズムに利用されたが、西尾幹二も民族差別発言をして恥じないどころか、ドイツ語をやったから脱亜入欧したよような錯覚をしているのが明らかだった。欧米人から黄色い猿と言われコケにされる風袋をしている人こそ、外国語を習得して名誉白人のようにふるまうものである。


 それでいて日本人としてナショナリズムを説く。

 しかし、歴史修正主義者として発言しながら、「ドイツでは」を連発していた。いつの時代のドイツなのかということになるけれど、ケントギルバートの「アメリカでは」とか、アグネスチャンの「中国では」と違い、西尾幹二は自国でないのに言うもので、ちょうど岸恵子の「パリでは」みたいだが、これに比して西尾幹二は実に品が悪かった。


 覚醒剤を打っているようだとデーブスペクターが言っていた。 

 これはデーブスペクターが西尾幹二とテレビで同席したさい、西尾幹二の態度は狂信的というより覚醒剤を打っているようだと呆れて言ったのだった。

 この覚醒剤は、ニーチェ、カント、ショーペンハウエル、といった人たちである。あのマルコムXは全部読んだが尊敬できないと言っていた。ナチズムの素になったと言われているけれど、尊敬できないのは重要でないことに議論の多くを費やしているからだそうだ。

 また、批判する対象を設定して、その批判を拠り所とするしかないという学派の典型がマルクス主義に対する批判であり、これを西尾幹二は受け売りしていた。その点でも付け焼刃ドイツ哲学の徒であった。

 

 このように、滑稽な学者のステロタイプだから大いに笑わせてもらったものだった。

  

 

 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年8月21日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年8月21日

 最近、ブラウザ中に表示される広告が女性むけばかりだ。

 それで気づいた。そもそもグーグルが成功した手口だが、広告をなるべく興味がありそうな人が見るように、検索するなどした物事と関連する商品の広告になるようにしているというわけだ。

 つまり、広告が女性むけの商品ばかりになる検索をしたのだった。



 どんな広告かというと、女性の美容に関係するものである。

 女性の髪形について記述するさい、表現が適切か確認するため調べた。そうしたら、女性の美容について検索したと見做され、それと関連する広告が表示されるようになったのだ。

 まったく滑稽だが、こうすると商品を求めていそうな人にその広告を見せられる確率が高まり、ただ羅列するように表示されているのとは大違いの効果があるらしい。

 そんなことが、グーグルはなぜ成功したかというような本で読んだ。


 ではなんで女性の髪形を調べたのか。

 それは前に小説を紙製雑誌から小説サイトに転載するさい、女性の髪形が出て来るので適切な表現なのか確認して色々と検索したのだ。これはインターネットの便利さの最たるものだろう。

 前に人気漫画家が、女性の着ている物が解らないとインタビューで言っていたのを本で読んだことがある。それでも、絵を描くことならできる。言葉で説明する場合、不適切な表現だと別のものになるなど困ったことになってしまう。


 その転載した小説は、ここで前に話題に出したものだ。

 これを読んでもらえれば、髪形について出て来るから、それで調べたことが解かる。この程度でも、すかさず広告の為の情報とされるのだ。


この小説用サイトに転載。

 
 
 
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