- 井上靜

- 2023年9月6日
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汚染水の海洋投棄で「科学を信じる」と言う人たちがいる。
末尾に「べき」を付けて言う人もいる。日本政府の説明が科学的にデタラメだという指摘もあるが、そもそも科学は信じるものではないという指摘が出ている。日本政府の言い分を信じられるか否かということならともかく、科学は信じるも信じないもない。
アイザックアジモフが説いた。
「科学者の言うことが正しいとは限らないが、科学的でない者が正しくないと断定はできる」
つまり、科学そのものは正しい正しくないというものではなく、信じる信じないというものでもないのだ。

「科学を信じる」という言い方が不適切であるのと同じなことは他にもある。
かつて自民党・平沢勝栄議員の「警察を信じて欲しい」という発言が、それだ。これは警察が人権侵害しまくる内容の法案に対する批判について言ったことだ。
数多い冤罪の事実と、その原因の最たる警察による取り調べでの暴力と拷問の実態、そのほか凄まじい警察の腐敗堕落について、それでも信じろと言うのが平沢勝栄議員である。
彼は東大法学部卒のキャリア警察官だった。
だから、そのような警察の破滅的実態を認めたくないのだかもしれないが、同じく東大法学部卒のキャリア警察官から自民党の国会議員となった亀井静香議員は、警察の実態が批判されている通りであり、だから死刑制度は廃止するべきだと主張していた。
他のことでは平沢よりタカ派である亀井であるけど、正直に言っている。これは評価すべきだ。
つまり平沢のような人が警察の上層にいるから、警察を信じろと言われても無理なのだけれど、それ以前に、警察など権力が「信じる」ものなら法律は要らない。そんなことも東大法学部卒のキャリア警察官だった平沢勝栄議員には理解できないようだ。
ところが、理解できなくても信じろと言うのが横行している。
これは科学でも権力でも宗教のように錯覚しているからだ。なにやらエライ人が言うから、科学でも警察でも、信じるものだと勘違いする人がいるのだろう。とんでもない話である。


