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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年7月19日
  • 読了時間: 2分

 米が無くなると神道が無くなる。

 参政党の神谷代表が選挙演説で言った。宗教のために米があるのではなく、主食である。米がなくても他のものを主食にすればいい状態ならともかく、今はまだ米が必要だ。それなのに、政治家が政策ではない観念的な話をしているのだから、呑気なものである。

 では、米と神道が関係あるのか。



 米づくりしないと稲荷神社は無用になる。

 あれは自然の恵みに感謝し、収穫された米を病害虫から守るための祈願である。だから稲作が無くなれば稲荷神社も無くなる。

 米を作る田んぼがあれば、その地域に稲荷神社があるものだ。それで、周囲では犬を飼うことができない。稲荷を守る狐が犬を嫌うからだ。

 これが北海道にもある。ところが、北海道では先住民族のアイヌが狩猟民族だったのに、侵略されて土地は天皇のものとされ、主食の鮭を取れば密漁として逮捕された。そして稲作を強制された。 


 参政党は小麦を押しつけたアメリカを批判している。

 アメリカ大陸ではヨーロッパ人の侵略により、先住民族は慣れ親しんでいない小麦を強制されて体調を悪くした、という歴史がある。

 これと同じことを、日本人は米で他の民族にやっていた。こういうことを参政党の人達は意識の中から必死で追い払う発言をしている。


 日本人の食生活は米によって貧しくなった。

 米が外から入ってきてから、労働はきつくなり、貧富の差ができて、食生活から多様性が失われ、経済力を測る尺度となった米ばかり作られさて飢饉が起きるようになった。米に依存するのはもう嫌だと日本人は昔から思ってきた。それで米の消費は減り、生産者も居なくなってきた。

 だから参政党に限らず、まだ米が必要だと言うための拠り所に宗教をもってくる。


 天皇が田植えをして見せる。

 これは日本に稲作を持ち込んで得た権威を見せると当時に豊作を祈願するためだ。それなのに大臣を承認し任命する仕事をするようになった。これは中国から律令制度を輸入したさい真似したからだ。 こういうことを、中国の真似を排除せよと主張する自称保守派は言わない。なにも考えておらず適当に言っているだけなのだ。

 それが国政に割り込んできた。政治のひどい荒廃である。


 

 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年6月21日
  • 読了時間: 2分

 大阪府にある神社の敷地内でボヤ騒動があった。

 これは後に、子供のいたずらでマッチから落ち葉に火が付いたのだと判明し、建物への延焼は無かったということだった。そして警察署では、関与した10歳前後の男女数人に事情聴取しているそうだ。

 ところが、当初は外国人の仕業だという噂が流れた。それも、この外国人はイスラム教徒で、邪教の施設だから火をつけたと供述したという話だった。



 このとんでもないヘイトデマは、大阪府神社庁が流布した。

 あのときボヤ騒動があった神社の宮司からそのような報告があったので、それを府内の各神社に伝えて注意を呼びかける文書をファックス送信したと、新聞社の電話取材で答えた。一方、その神社の宮司は、そんな話はしていないと否定し、言い分が食い違っている。

 また、警察では、事情聴取している子供たちの信仰は不明で、邪教だから放火というような話は一切でていないということだ。


 一時はSNSで大騒ぎとなっていた。

 しかし事実無根のヘイトデマだったから、これでは関東大震災の時に匹敵する悪質さだと驚かれていた。元の誤情報はボヤ騒動があった神社ということになっているが、その神社では最初から言ってないということで、どちらが間違えたのかは不明だが、神社の側から発信されたことには変わりない。

 どうして、そんなことになったのか。神道界の極右体質のためではないか。


 もともと神道界には極右の狂信者がたくさんいる。

 それが、よく神社を仕切っている。これは初詣や七五三で行く神社の印象とは違っている。それで、危ない人たちがいると思っている人たちが世間一般にいる。

 ここから、神社にいる人達は疑心暗鬼というか被害妄想というかで、外国人の異教徒だと過激な行動に出るものだという発想をしてしまうのだろう。

 

 
 
 

 学問の自由が危機に瀕している。

 これはもちろん周知のとおり学術会議のことであるが、学問に対する攻撃の発端は1892年の久米武彦筆禍事件と言われる。日本の神道は宗教ではなく古俗の一つと論じた久米武彦教授の論文に怒った神道界と国粋主義者たちが、久米教授を猛攻撃した。

 これで久米教授は東京大学を辞任に追い込まれ、論文が掲載された雑誌は発禁処分にされた。


 それでいて、戦後は神道の側から宗教ではないことにするようになった。

 これは、国家神道が否定された後も神道を国教として扱われるようにするためだ。国教なら公的機関が儀式などを実施するけれど、そうすると憲法で定めた政教分離原則に違反するので、神道は宗教ではなく俗習であると言い逃れるのだ。

 つまり御都合主義だが、それで権力に擦り寄るというのは卑劣なやり方である。それなら神社という神社から宗教法人格を剥奪すべきだ。そして規定通りの税金を納めさせないといけない。



 神道が、堂々と、あくまで古俗・俗習と表明したら相手にされないだろう。それで宗教のようにふるまう。

 例えば、建設のさい「地鎮祭」と称した儀式をしても、そんな御まじない効果があるわけない。事故は起きている。原始古来の儀式を原子力発電所の起工式で実施しているなんて滑稽だと昔から言われてきた。それで事故がなければ結構だが、そんなことはもともとあり得なかったし、効果が無いことは現実によって証明されている。

 それでも個人でやるのは自由だけど、公的機関が実施して料金を公費から払うので問題になる。すると途端に、これは宗教ではなく習慣だから違憲ではないと言い出す。だったら最初から宗教を偽装することないはずだ。

 これは要するに、金が欲しいだけのようだ。


 ところが、権力が市民の自由を奪うのに協力するという目的が、実は神道にあるのだ。

 だから、前にも取り上げたとおり、警察署には神棚が設置されていて、神道は国教だと擦り込み、靖国神社などで閣僚の参拝を戦争美化と政教分離違反だと批判する国民を警察は暴力で弾圧する。

 警察署として安全を祈願するためというが、これでは特定の宗教である。しかも政治的である。それで警官が安全になるなら結構だが、そんなことはない。もっとやるべきことがあるのに。警官たちが気の毒だ。

 これは柔道の指導と似ている。神棚は安全祈願のためだと言って、宗教が違うというと「生意気」と言って弾圧し、それでいて指導者がなってないので事故で深刻なことになってばかり。日本の柔道が衰退して外国の方が盛んになってしまったのも当然のことだ。


 どこの国でもあることだが、特に日本では宗教が権力と暴力に関与して罪深いことばかりしているのだ。

 学術会議の迫害に賛成した公明党の支持母体である創価学会は、神道では戦争に勝てないと指摘したため弾圧されて開祖が死んだのに、この迫害といい、その前から自民党を通じて神道との癒着といい、これだから、他の日蓮宗から、大上人の教えに背いたので必ず滅びると言わるのだ。  

 

 
 
 
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