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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 6月21日
  • 読了時間: 2分

 大阪府にある神社の敷地内でボヤ騒動があった。

 これは後に、子供のいたずらでマッチから落ち葉に火が付いたのだと判明し、建物への延焼は無かったということだった。そして警察署では、関与した10歳前後の男女数人に事情聴取しているそうだ。

 ところが、当初は外国人の仕業だという噂が流れた。それも、この外国人はイスラム教徒で、邪教の施設だから火をつけたと供述したという話だった。


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 このとんでもないヘイトデマは、大阪府神社庁が流布した。

 あのときボヤ騒動があった神社の宮司からそのような報告があったので、それを府内の各神社に伝えて注意を呼びかける文書をファックス送信したと、新聞社の電話取材で答えた。一方、その神社の宮司は、そんな話はしていないと否定し、言い分が食い違っている。

 また、警察では、事情聴取している子供たちの信仰は不明で、邪教だから放火というような話は一切でていないということだ。


 一時はSNSで大騒ぎとなっていた。

 しかし事実無根のヘイトデマだったから、これでは関東大震災の時に匹敵する悪質さだと驚かれていた。元の誤情報はボヤ騒動があった神社ということになっているが、その神社では最初から言ってないということで、どちらが間違えたのかは不明だが、神社の側から発信されたことには変わりない。

 どうして、そんなことになったのか。神道界の極右体質のためではないか。


 もともと神道界には極右の狂信者がたくさんいる。

 それが、よく神社を仕切っている。これは初詣や七五三で行く神社の印象とは違っている。それで、危ない人たちがいると思っている人たちが世間一般にいる。

 ここから、神社にいる人達は疑心暗鬼というか被害妄想というかで、外国人の異教徒だと過激な行動に出るものだという発想をしてしまうのだろう。

 

 
 
 

 学問の自由が危機に瀕している。

 これはもちろん周知のとおり学術会議のことであるが、学問に対する攻撃の発端は1892年の久米武彦筆禍事件と言われる。日本の神道は宗教ではなく古俗の一つと論じた久米武彦教授の論文に怒った神道界と国粋主義者たちが、久米教授を猛攻撃した。

 これで久米教授は東京大学を辞任に追い込まれ、論文が掲載された雑誌は発禁処分にされた。


 それでいて、戦後は神道の側から宗教ではないことにするようになった。

 これは、国家神道が否定された後も神道を国教として扱われるようにするためだ。国教なら公的機関が儀式などを実施するけれど、そうすると憲法で定めた政教分離原則に違反するので、神道は宗教ではなく俗習であると言い逃れるのだ。

 つまり御都合主義だが、それで権力に擦り寄るというのは卑劣なやり方である。それなら神社という神社から宗教法人格を剥奪すべきだ。そして規定通りの税金を納めさせないといけない。


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 神道が、堂々と、あくまで古俗・俗習と表明したら相手にされないだろう。それで宗教のようにふるまう。

 例えば、建設のさい「地鎮祭」と称した儀式をしても、そんな御まじない効果があるわけない。事故は起きている。原始古来の儀式を原子力発電所の起工式で実施しているなんて滑稽だと昔から言われてきた。それで事故がなければ結構だが、そんなことはもともとあり得なかったし、効果が無いことは現実によって証明されている。

 それでも個人でやるのは自由だけど、公的機関が実施して料金を公費から払うので問題になる。すると途端に、これは宗教ではなく習慣だから違憲ではないと言い出す。だったら最初から宗教を偽装することないはずだ。

 これは要するに、金が欲しいだけのようだ。


 ところが、権力が市民の自由を奪うのに協力するという目的が、実は神道にあるのだ。

 だから、前にも取り上げたとおり、警察署には神棚が設置されていて、神道は国教だと擦り込み、靖国神社などで閣僚の参拝を戦争美化と政教分離違反だと批判する国民を警察は暴力で弾圧する。

 警察署として安全を祈願するためというが、これでは特定の宗教である。しかも政治的である。それで警官が安全になるなら結構だが、そんなことはない。もっとやるべきことがあるのに。警官たちが気の毒だ。

 これは柔道の指導と似ている。神棚は安全祈願のためだと言って、宗教が違うというと「生意気」と言って弾圧し、それでいて指導者がなってないので事故で深刻なことになってばかり。日本の柔道が衰退して外国の方が盛んになってしまったのも当然のことだ。


 どこの国でもあることだが、特に日本では宗教が権力と暴力に関与して罪深いことばかりしているのだ。

 学術会議の迫害に賛成した公明党の支持母体である創価学会は、神道では戦争に勝てないと指摘したため弾圧されて開祖が死んだのに、この迫害といい、その前から自民党を通じて神道との癒着といい、これだから、他の日蓮宗から、大上人の教えに背いたので必ず滅びると言わるのだ。  

 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 4月6日
  • 読了時間: 2分

 ある神社が、氏子や祟敬者の他は入場させないと宣言した。

 これは、観光でやって来た人達のマナーが悪すぎるためだった。昔から、神社仏閣に観光客が落書きするなどの心無い行為がマスコミでり上げられていたけれど、最近では職員への暴言などがひどくて困っていたところ、決定的に不敬なことを外国人観光客がやらかし、それで宗教目的でない立ち入りから撮影まですべて禁止する措置を取った。


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 宗教施設を遺跡のように思っている人がいることも原因だ。

 現役の宗教団体が昔からの施設を保持して宗教行為に利用しているのを、過去の遺物だと思っているから、落書きなどをしなければ問題ないと考えるのだ。

 それで、かつて「古都保存協力税」を、京都の仏閣の入場料金に上乗せして消費税みたいに徴収しようとしたら、坊さん達が猛反発した。街並みと施設を保存するための費用だから寺にとっても有益だろうという善意だったが、運営しているのは宗教団体であるから、信教の自由などで問題がある。一時は仏閣のロックアウトで抵抗していたほどだった。その代表をしている僧侶は当時の皇后(今から二代前)の弟である。これに賛同した野坂昭如が訪問してインタビューする様子がテレビで放送された。


 もちろん観光宗教もある。

 だから「入場料」ではなく「拝観料」と言ってはいるけれど、あれでは商売でやっていると言われても仕方ない所があった。いちおう収益は宗教活動の資金であるとしているが。他にも収益のため土産物を販売していたりする。

 そんな中で、観光を排除した神社が出たということだ。


 

 
 
 
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