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​炬火 Die Fackel 

更新日:2022年5月25日

 スピリチュアル・心霊に詳しくなったのは母親が複数の系列団体に出入りしていたからだ。

 当時そのスピリチュアル団体に美輪明宏が来たことがあった。歌手としてではなく「霊能者」として。


 また『キャリー』みたいに母親から強制されていた。それで友達を失うし学校で虐められるし、そこで会った防衛医大生に勧められて受診したら医療過誤に遭った。拙書(HP参照)に書いた通り散々だった。

 別の防衛医大の医師が、スピリチュアル団体で会った学生に紹介された話をしたら、そんなのはやめなさいと注意され、その医師が会員の仏教団体にと誘われ、今度は集会に「山本リンダが来るよ」と言われたから断った。まじめな話だから笑ってはいけないけど笑ってしまったと言う人がよくいる。特に「山本リンダ」に。


 オウム事件で「医学生が何で信者に」とか言われたが、そんなのザラだ。

 スピリチュアルとそれに性質が似ているカルト宗教にハマるのは、勉強しないからとか科学に疎いからとか言う人がいるけれど、それが間違いなのはオウム真理教事件が証明しているし、その前から筑波大学や防衛医大のことは指摘があった。

 またスピリチュアルは右翼宗教よりもっとファッショに傾倒しやすい。昔話で王を魔法使が唆すのと同じ構造だ。安保条約だって女性の「霊能者」が岸首相を励まして自信を持たせた。


 あのとき美輪明宏は、芸人らしく愛想がよく、そんな態度をして見せるのが上手だった。

 長崎出身の被爆者で反戦の歌に拘るというけれど、やはり「霊能者」だから、親しかった三島由紀夫に、背後に226将校の霊がいると言って狂気の行動をけしかけたことを自慢するなどしていたし、他の言動でも、やはりファッショである。


 美輪明宏は、中曾根康弘を怒らせたことがあるという。

 これは中曾根が「海軍魂」と精神論を説くのに対し、科学で劣っていたから原爆でやられて敗戦した事実などを美輪が指摘したからであった。東大出て内務省などエリートで来たはずの中曾根は、芸人風情にどうしたのかと美輪は言っていた。


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 霊能者というのも芸の一つで本気ではないのか。

 一方、中曾根は岸のことから興味を持って、その「霊能者」の女性に相談したらしい。そして背後霊の力を借りるよう言われて、念願の首相になった。実際に借りたのは背後霊ではなく田中角栄の力だったが。しかし、中曾根のことで彼女はテレビに出て丹波哲郎に自慢していた。

 ただし彼女は俗な意味で「成功者」だったけれど家庭の幸福に縁遠かった。


 どうであれ、上記の人たちには遊びの感覚がある。

 そうでないキャリーのママは狂信者だが、夫が事故死したのが天罰だと思い込んでいるというのが原作の小説では説明されている。そうした事情から宗教にのめりこんでいる人とはちがい、スピリチュアルの場合は精神病である。

 このことはスピリチュアルを肯定している人も、だいたい共通して指摘している。幽霊を見たという俗に世界各地にある話とは違い、霊の姿が見えるとか声が聴こえるとかいうのは幻覚だ。そもそも霊感とは第六感ともいうように五感とは別の何かを感じるものだから、五感と同じように見えたり聴こえたりすると本気で言っている人は統合失調症である。そんな人は薬を飲めば治まり、それで霊能力が無くなってしまったとか言って気にしたり嘆いたりすることがなくて、まったく平気でいる。


 つまり、遊びの感覚であるか精神病であるか、そのどちらかである。真面目に受け取ってはいけない。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年1月6日
  • 読了時間: 2分

 特に日蓮宗が神社や神道を認めないのは宗教としての力が無いからだ。

 これは牧口常三郎も説いていたことだし、創価学会を批判して信者を自分のところに誘導している日蓮宗団体の顕正会も説いている。だから自民党に合わせて神道を批判しなくなった創価学会は絶対に滅びると言っているのだ。


 しかも、昔から神道とくに伊勢神宮にまつわる神話は結構な笑い話だった。

 祀られている天照大御神は日本の八百万の神々の最高神だというけれど、それは両性体で、女性っぽくなったのは子供を産むためだから、まるでロバートAハインラインの『輪廻の蛇』やアーシュラKルグインの『闇の左手』といったSF小説か、永井豪の『デビルマン』(原作の方のサタン)みたいであるし、それが隠れている戸を開けさせようとどんちゃん騒ぎしたのは元祖ストリップで、これを大島渚が、実際は性交して見せはずだからアメノウズメこそ『愛のコリーダ』よりはるか前の本番女優だと指摘していた。


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 これをネタにして後から宗教に見せかけたものを信奉するのが日本のナショナリズムだが、それで良いのだろうか。

 しかし拒否したりすると弾圧される。殺されもする。そんなことで日本は大丈夫なのか。それが元から日蓮宗の「神道は無力」という指摘だったし、世間一般でも宗教ではない行楽の一つだったのだが、明治時代に変なことになってしまったのだ。


 そういうことを少しは真面目に考えるべきである。

 何も考えていないから、自民党は権力と暴力に訴えるだけで信仰としては無力な宗教と仲良くしてファシズムに傾倒を強め日本の衰退を促進するし、立憲党も「田舎で商売するなら神棚を客から見える所に」という感覚だから選挙で勝てないのではないか。

 現実は、個人でも会社でも神道を宗教として本気で信仰していると病気になったり倒産したりと不幸になっているのが過去の実態である。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年10月10日
  • 読了時間: 1分

 仏国で、聖職者の性的虐待の深刻さが報告された。

 その調査委員会によると、50年以降の被害者は21万人を超えるという。


 これで思い出したが、前に米国のテレビで、貧乏人への偏見により何かと近所で犯罪があるたびに疑われたことのある人が、報道番組のインタビューに答えて言っていた。

 「貧しいから窃盗をやりそうだというなら、いちおうは関係がある。もちろん偏見だから、証拠も無いのに疑うのは問題だが。しかし、児童に性的な悪戯をするのは関係がないし、聖職者に多いことは昔から常識でしょう」

 

 最近、その監督が死去したホラー・サイコサスペンス映画の名作『オーメン』の串刺し神父も、小説では児童性愛の過去があることが説明されている。

 成人であるうえ聖職者という責任ある立場である神父ではなく、相手の少年が咎人とされ残酷な方法で殺される。この体験から教会が信じられなくなっていた、という設定であった。


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 もともと、聖職者を批判しにくい雰囲気があるけれど、実態は禁欲生活のため未成年者に手を出す人が多い。

 基督教だけでなく仏教でも同じことがあるけれど、そもそも無理して綺麗事をやっているから、裏で醜いことになる。

 前に宮沢賢治のストイックさはファシズムに通じていると指摘したけれど、これも同根だ。

 
 
 
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