- 井上靜

- 2022年4月9日
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実際に冤罪事件で有ったこと。
それは、警察に追及をされて無実を主張している人がマスコミの取材に応じ、いかに自分が潔白で警察が間違っているかと訴えたが、記事は犯人視だった。しかも、ずさんな決めつけだった。取材に来た記者は、よく話を聴いてくれたので、まさかと思っていたそうだ。取材に来た人は真面目だったが、それでは駄目だと編集部で言われたらしい。
こんなことは珍しくない。「たまたま」ではなく、その構造があるからだ。
そもそもマスメディアでは、予め決められた結論に合わせた取材をさせられ、実際に見たら違うと言っても通用しないのが普通だ。また、他のメディアと違ったら浮いてしまい、虚報とされたり除け者にされたりするから同調する。
これは小さな事件などでもよくあることだから、戦争のような国の巨大な意識が関与し大手メディアが世界各地に流すなら尚更である。

今のウクライナ戦争も同じ構造である。
その現場に行って直接見たと言ってはいても、その記事を発表しているのがアメリカのメディアであれば、当然ながら全く信用できない。これも経験則であるだけでなく具体的に構造が既に明らかとなっているけれど、それより、敵対する国にある大手の戦争翼賛ばかりしているメディアに発表するというだけで疑わないといけない。
また、今は昔と違い取材も報道も徹底的に管理統制されているから、現場に行ったジャーナリストの話は殆ど信用できない。それに反し中東へ命懸け取材に行く人もいるが、大手マスコミには黙殺されるし、そこで商売している「ジャーナリスト」によって否定される。
この件は拙書『朝日新聞…』の主要なテーマであった。


