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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年12月27日
  • 読了時間: 2分

 かつて『美味しんぼ』の原作者がNHKに出ていたのを観た。 

 この時、化学調味料の横行による手抜き料理が問題にされていた。即席ラーメンの普及のころから化学調味の使用量が増えたと、番組は指摘する。安く作るため化学調味料に頼らざるを得ないからだ。

 これに『美味しんぼ』の雁屋哲は、料理番組の影響があるはずだと言い添えていた。NHKだから構わないだろうと思ってのことだろうが、民放の料理番組は化学調味料のメーカーがスポンサーになっていて、宣伝のための番組なので、どんな料理にも必ず化学調味料を使うのだと指摘する。

 たしかに、そうした番組は、わざとらしいほど化学調味料を強調しているものだった。


 そのさい雁屋哲は、テレビを観ている女性が「正直」だから影響されると言った。

 あくまで、化学調味料の使用を強調しているのはスポンサーが宣伝のためにやっているだけで、厳密な意味でマニュアルとかレシピとかの中に含まれているとは言えない。しかし女性の視聴者は几帳面で素直だから杓子定規に、テレビでやっている作り方をそっくり同じようにしないと気が済まないのだろう。よく女性は、テレビの料理番組は参考程度なのだと幾ら言っても、テレビでやっている通りにしないと絶対にいけないと頑なである。



 前に几帳面な裁判所の女性職員の問題を話題とした。

 どうでもいいような書式に拘り、何も問題はないことでも、重箱の隅を楊枝でほじくるようにしないと気が済まない、という問題だ。料理番組を観ている主婦だけでなく、裁判所で働いている競争率が高くてたくさん勉強しないと成れない仕事をしている女性が、それゆえかもしれないが、几帳面を通り越して杓子定規で困る。

 だから、早くしないと夜逃げされる心配があるとか、他の債権者に差し押さえで先を越されるとか、そういう場合であっても、書式で欠けている文言があると拘り、後から口頭で裁判官に告げれば簡単にすむことであるから必ずしも予め書く必要が無いにも関わらず、訂正の申立書を提出するか、再び裁判所まで来て書き加えて訂正印を押さないと、書類の送達を出来ないと頑張る。しかし、法的に絶対不可能なのかと追及すると、実はそうではないと認める。

 

 もちろん、化学調味料の手抜き料理も不味いが、裁判の書面は深刻な問題である。

 それなのに、こんなことでは困るということを女性にされてしまう。弁護士とか、よく我慢していると思うが、まず仕事でお付き合いだから、次に差別的と誤解されてもいけない、ということのようだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年12月25日
  • 読了時間: 3分

更新日:2021年12月29日

 先日、裁判所で事務官をしている人に訊いた。

 すると、裁判所は今もファックスを使用しているそうだ。ファックスは時代遅れで、外国では博物館にあったりもする。公的機関としては、固定電話だから確実性が高いということだったが、しかし画質は悪いし、料金もかかる。通信の間に時間がとられ、その間に電話が使えなくなる。

 そうではなくPDFなどにすれば、画質は良いし、時間も料金も少ないし、相手が訪ね当たらないとデーモンが返ってくる。それが、ファックスだと番号を間違えて気づかないこともありうる。

 なのに、今もファックスを使用している事情について、勤務している人も解らないそうだ。


 ところで、裁判所の受付をしている女性の几帳面は問題である。

 だいたい、弁護士も言っているとおり、裁判は結構いいかげんにやっているものだ。これで最悪は無実なのに死刑ということまであるし、権力や大資本が相手だと裁判官は故意にデタラメをして、そういう人ほど組織の中で昇進していく。「上級国民」にえこひいきということも問題で、「法の下の平等」が日本の司法には無い。

 だから書式など平気で無視しているのが実態だが、女性は几帳面すぎて、重箱の隅を楊枝でほじくるようなことをする。いくらそんな厳密性にこだわっても、裁判が始まれば不真面目な裁判官が多いので、ほとんど関係ない。虚しいだけである。



 また、真面目な裁判官も嫌な顔をしていることがある。

 とにかく、粗探しすることで仕事していると思っているような女性の書記官や事務官は、あとから法廷で確認するさい簡単に解決できることすら、最初に細かくとやかくいって訂正させ、そのたびに訂正印を押すことになるから、朱肉で所々が真っ赤になってしまい却って読みにくいし、そうまでする意味が乏しいどころではないのだ。

 それに、多少の問題や難があっても、原告と被告の双方で善良に解釈しあうもので、それを揚げ足取りはせず、訴訟の攻撃と防御であっても誠実さが必要とされている。それが解からないのか、他人の間違いを指摘して悦に入っているのか、几帳面すぎるのか、実に困ると言う。


 また、アガサクリスティー作『検察側の証人』のドラマ化みたいなこともある。

 ここで、弁護士が法廷で違うものを提示し、それは偽物で本物はこうなっているはずだと相手方に言わせてから、ではこれだと本物を出して見せる場面があるけれど、そうした手口でやっているのに、よく女性の事務官や書記官から先に言われてしまって迷惑することがある。善意のお節介であるから始末が悪い。


 結局は、何のために慎重になるのか本質が解っていないという問題だ。

 それで裁判所は、今もファックスを使っていたり、生真面目な職員が本末転倒をしたり、ということなのだろう。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年12月24日
  • 読了時間: 2分

 各地の裁判所で判決文に同じ誤記があった。

 これは、趣旨は同じだが別々に起こされた訴訟でのこと。全く同じ判決文のうえ、誤変換らしい誤記まで同じだった。つまりコピペだったのではないかという疑惑である。

 その訴訟とは要するに、国の政策や行政の内容が、合法的に決められてはいても違憲の状態になっている、という趣旨だった。これに対して、政治的に決められていることに対して憲法違反であると文句を言っても駄目という判決である。


 これは本来、よほど高度な問題について政治的に判断された場合に言うことだ。

 ところが現実には、そんな程度の高い話であることは先ず無い。どうみても裁判官が職務放棄して逃げただけという程度のことである。実際この訴訟にしても、生活保護費の減額について、憲法で規定された最低限度の生活という水準を下回る結果になっているという訴えであるから、それが現実の生活とか物価とか具体的に見てどうなのかと判断できるはずだ。その程度のことでも判断から逃げる裁判官が、横並びで御手々繋いでというわけだ。



 テレビドラマで同じ誤字からカンニングがバレる話があった。

 例えば音楽の女性教師が笑って「古典主義」の「典」が「店」になっている答案が同じクラスに複数あったと言うなど、御粗末なカンニングだった。これと同じ水準の裁判官たちがいたのだろう。


 もともと「裁判官の独立」は絵に描いた餅であった。

 裁判官は独立して業務にあたるとされ、それを裁判官もよく法廷で嘯いているが、それにしては、上司の介入とか口出しとか横車を押すとか圧力とか、もう酷い実態であった。

 これについては、その意味で最低の悪徳判事だった貝阿彌誠がその後も弁護士として「なるほど」の地位と仕事であることを色々な人たちが告発しているし、自分も直接の体験談を述べたことがある。

 つまり、そもそも司法権の独立だけでなく裁判官の独立が無い無法地帯の日本社会なのだ。

 
 
 
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