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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月12日
  • 読了時間: 2分

更新日:2月12日

 例の京都大学の件で寮に家宅捜索。

 その熊野寮で、警察は捜索令状の提示を拒んだ。六法全書を見せて「ここに、令状を事前提示しろって書いてあるでしょう」と言って説得しようとしても警察官は「法律の話をする気ない」と言い切ったそうだ。

 みんな驚いたと言う。



 しかし、これが普通だ。

 もともと法律など無視して令状を提示せず、そして見せろと食い下がると「こーぼー」と叫んで公務執行妨害で逮捕である。それが最初から目的の一つであるし、それが常態であるから令状なしの家宅捜索も横行している。

 このblogを読んできた人たちなら、今それを追及していることを知っているだろうが、訴訟で裁判官が露骨に警察の不正を隠蔽しようとしていて、令状があるのか、あったら内容はどうなのか、ということを警察に調査嘱託や文書送付嘱託を求めると、裁判官は理由もなく拒絶して、なぜかと質問したら退廷命令で裁判所員たちが強制排除して持参していたタブレットを損壊される被害である。

 

 一般的に、裁判官は、令状がなくても在ったと判決文に嘘を平気で書く。

 その具体例として追及しているのが飛澤知行裁判官である。警官が強制猥褻行為をしたという訴えに対して「裁判所の許可を得て着衣を調べた」と判決文に書き、「裁判所の許可」ということは捜査令状を取ったことになるが、そんな令状があったとは警察側も言ってない。

 この事実を確認できるのに拒否して「これで裁判は終わった」と法廷で奇妙な叫びを発したのが大須賀寛之裁判長であった。フリーランスの記者たちが記者クラブ無用と訴訟を起こした時に無茶苦茶だった裁判長としてフリーランスの記者たちから知られている人である。

 なく押し入ることかできなくなってしまう。だから後で、無くても在ったと言い、それがどんなに噓くさくても裁判官は鵜呑みにする。裁判官は警察から弱みを握られている人ばかりだからだ。これでは弁護士だって恐れて当然である。


 それで、前に都内の共産党系法律事務所にいる女性の弁護士は逃げた。

 令状なくても良いと思うとか、弁護士のくせに非常識なことを言って関わりたくないと言って。そんな非常識を言うくらいだったら、自分は人権派じゃないと言えばいい。言うのに抵抗があるにしても、そんな弁護士がまさに人権派じゃないのだから自認すべきだ。


 こういう現状であるから、京大の方々の驚きは、今さら何を驚いているのかということである。

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月10日
  • 読了時間: 2分

 安田純平という人に日本政府が渡航を規制していた。

 これは違法であるとする司法判断が出た。しかし、これで規制がなくなったのではなく、今後も新たに規制はいくらでもできる形であるという指摘もある。したがって、ささやかな勝利ということだったし、そうでないと、この裁判長が実質的にも国の方を敗訴させるなんて奇跡が起きるわけがない。

 この点、同じ裁判長が常岡浩介という人は敗訴させたことと併せれば、実にこの「東京高裁のワースト判事」と弁護士からも言われる三角比呂らしい。この裁判長は、ひどい判決の合間に、実質の伴わない判決により、自分は権勢に媚びてばかりではないように見せかけるからだ。

 ここのblogの「司法」欄を読んでいる人たちには容易に理解できることだ。


 もとは日本政府の事なかれ主義である。

 だから、取材が日本政府に不都合なので規制したという報道の自由に関わる問題では全くない。むしろ、これは安田という人に限らないが、その取材は日本政府にとって実は好都合である。なぜなら、彼の取材とは日本政府が追従している米国やNATOの側から操作されたものであり、その指摘は前から出ているのだから、取材の結果が対米隷属の日本政府を困らせるものではない。



 かつて安田純平という人が渦中の人となったとき。

 その途端に叩くのは卑怯者だと非難する人たちがいたけれど、そうなる前から彼の「報道」はあからさま嘘またはデタラメであると指摘して、それゆえ堕落したマスコミが買っていたと批判してきた者たちがいる。

 当方もその一人である。著書を読んでくれたら人なら解っていることだが。この著書は、アマゾンのレビューから、この指摘をしたものがことごとく削除されていて、残っているのは本の内容と違うものだけである。題名から想像して勝手に書いているようなレビューだ。こうした工作はいくらでもできる。Xでも同じことが言われていて、選挙がらみで被害届も出ているほどだ。


 それはともかく、戦争に関して最近の報道はひどい。

 これは大手に属している人たちもフリーランスも同じだ。フリーランスの人も金にしたくて大手に売ろうとするから、当たり前のことだ。

 かつて、こちらのblogに指摘のコメントが来た。ベトナム戦争の時のTBSの田英男や朝日新聞の本多勝一のようになりたくても駄目で、これは報道の情勢が大違いだし本人の力不足もあってのこと。そういう指摘だった。

 そのとおりだろう。


  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月6日
  • 読了時間: 2分

 判決 3月13日午後1時15分 626号法廷(東京地方裁判所6階)

 

 これは期日通知書が後に送付されることで告知された。

 通常、法廷で裁判官は、弁論を終結する、結審する、と言うものである。

 ところが、この裁判長は被告である国と談合のうえで、異議どころか質問すら拒否して「裁判は終わった」と感情的になって何度も喚き散らしていた。


 結審後に判決言渡期日は追って指定するというのは時々あるし、閉廷後に裁判官が残って当事者の退廷を確認するというのも極めて稀だが経験はしたことがあるというベテラン弁護士ならいる。

 ただ、そのベテラン弁護士も、今回のやり方はいかにも力づくで裁判を終結させようとするやり方であると指摘した。



 この裁判長=大須賀寛之は、フリーランスのジャーナリストらが起こした「記者クラブいらない訴訟」で当初の裁判長だった。

 ところが、そのジャーナリストの言葉を借りると「途中で身の危険を感じた」ようで、この訴訟で原告か被告かのどちらを勝たせても、自分の出世に響くという態度になり、すると裁判長が交代してしまったという。

 だから「大須賀さんのような人がいばっているから、今の日本があると思っておくしかない」とジャーナリスト氏は言い、しかし、なにごとも短期間では変えられないものだから、根気よく闘うことだという。


 可能な方は、上記の期日に法廷に来て欲しい。

 大須賀寛之が感情的になっているのもヤマシイからで、判決の時も人に来て欲しくないのが見え見えだった。

 そんなヤマシイことしているのを、ただ見られているだけでも大須賀寛之にとっては精神的苦痛になりそうだから。

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