- 井上靜

- 9月14日
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袴田氏は検察を名誉毀損で訴えた。
「袴田事件」の死刑判決が、後に証拠の捏造によるものであると裁判所も認めたのに、これに対して検察の畝本直美検事総長は、袴田氏が無罪になるのは不当だと公言したからだ。
まったく「史上最大の名誉毀損」とか「世紀の名誉毀損」とか言われて、検察の横柄さが批判されていた。
そこで袴田氏は訴訟を提起し、その代理人の弁護士が発表したのだった。

袴田事件は映画にもなっているから有名である。
これは担当した裁判官の告白が基になっている。裁判官も証拠の捏造などを怪しんでいたけれど、合議している他の二人の裁判官がいい加減かつ強引に有罪だと決めつけてしまったというもの。それで抗しきれなかったことを、その裁判官は苦悩していた。
そうした告白と、裁判に提出された証拠の検証などにより、とんでもない冤罪だということになり、長い間に渡って騒ぎになっていた。
そしてずっと後になってから、遂に裁判所も証拠の捏造を認めて有罪判決を取り消したという次第だった。
これを受けて、警察は袴田氏を訪ねて謝罪した。
間違いを認めない最たる警察としては異例だが、証拠の捏造が裁判でも認められての結果であることを重んじたのだろう。
また、国からは過去最大に多額の倍賞金が袴田氏に支払われた。しかし、いくら倍賞金をもらっても、寿命が残り少なくなっている袴田氏は、普通の生活でお金を使うというのはもう無理である。まったく虚しいというべきだ。せいぜい、生きているうちに公的に名誉回復されたことが救いである。
ところが、この名誉を検察は否定したのだ。
では検察がそう言う根拠は何か。
それらしい根拠は無い。ただ単に、検察に間違いはなく常に正しいという思い込みと思い上がりで言い放ったのだ。日本の検察は、そんな体質である。
かつて大学の法学部で履修した教授は元検察官だったが、彼は授業のたびに「検察は常に正しい」「検察に間違いは一切ない」「検察官は神様である」「検察官に罰してもらうのは神の愛を受けることである」などと嘯いていた。ここでも前に取り上げている。
だいたい、法学部の教壇に立つ元検察官は、こんな調子である。
このような狂信者になってしまうのは、ひとえに日本の刑事訴訟法が検察を全知全能の神のように絶大な権限を与えているからだ。そこから錯覚と傲慢が産まれるのだ。法体系を全面的に改訂するべきであり、昔から言われているように検察を解体して作り直すしかない。


