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​炬火 Die Fackel 

 死んだ赤ん坊を抱いた女性が警察に来た。

 その女性は、独りで産んだが、どう世話してよいか解らなかった。そして子供への対応が適切でなく死なせた。だから自分の責任であると思い、警察に行ったということだった。

 それなら誰か相談する相手はいなかったのだろうか。

 そういう残念な話であった。


 この事件は実名報道された。

 そんな気の毒な女性を曝し者にするなんて、いくら責任があるとしても可哀想だ。発表した警察からして何を考えているのか不可解だが、報道する各社も。実名報道するなら、もっと酷い事件があるのに。マスコミは判断の基準が間違っている。

 そう批判していた女性の弁護士がいた。


 マスコミの判断基準は訴訟リスクである。

 もしも実名報道した場合、対象が名誉毀損やプライバシー侵害で訴えてくることがある。その心配が小さいほど実名報道しやすい。それで弱い者いじめのようになる。

 しかも、社会的な地位が高い人ほど賠償金は高額になる。責任ある立場だから批判も甘受しなければならないという常識は、日本の司法では通用しない。社会的地位が高い人ほど、恥をかかされた損害は大きいから高額な賠償金は当たり前で、自分の失敗が原因だから自分の責任じゃないかと普通は思うが、司法では違う。エライ人がドジを踏んでもメンツを潰されてはならないという発想である。

 ここには、裁判官も検察官も自分がエライ官僚だから、という意識が働いているし、弁護士の発想も同じだ。

 

 莫大な賠償命令をされたら経営に打撃である。

 そのうえ刑事にもなれば逮捕である。カビやホコリだらけの部屋に監禁し、夏は冷房なし、冬は暖房なし。密室をいいことに警官が暴力をふるう。だから生命に関わる。社会的生命だけでは済まない。

 これが実態だから、マスコミばかり責めても気の毒な部分がある。



 そこで弁護士は何をしているのか、ということ。

 問題は権力や資本の御用聞き弁護士だけでない。マスコミを批判する弁護士は、そんなに報道の責務を問題にするなら、それを果たそうとして権力に弾圧されたマスコミを擁護して闘うべきである。それこそ弁護士の責務である。

 しかし、だいたい弁護士はマスコミを批判しっ放しだ。弱者のために権力と闘うなんて苦しいことだし儲かりもしないから避ける。これは、マスコミも弁護士も全く同じ態度なのだが、弁護士は自分のことを棚に上げてマスコミを批判する。それが弁護士の実態である。


 これはSNSにも反映しているから、観察すると良く判る。

 

 
 
 

 前に西村博之(ひろゆき)のイカサマを米山隆一が暴いた話題を取り上げた。

 これは西村博之の常套手段である「藁人形論法」に対し、そんなのはスリ換えであるという指摘に米山隆一が徹したのだった。ひろゆき式には前から同じ指摘があった。しかし、米山隆一は弁護士なので慣れていたのだろう、ということだ。

 なぜなら弁護士は、その仕事で藁人形論法とは毎度のよう接するからだ。これを品の悪い弁護士の実例を出して説明した。


 また、これは弁護士だけではなく法曹全体のことである。

 先の話題では、弁護士が法律相談や訴訟の相手方に対して、いいかげんなことを言ったりデタラメを言ったりするさい、よく、相手の言ったことを曲解などによって別の問題にすり替えて否定する実例を挙げた。

 それだけでなく、裁判官や公安委員会も、しょっちゅう藁人形論法で不正な結論にしているのが実態である。


 まず、被告が政府の関係者とか大資本の場合である。

 訴えを正しく受けとめていたら、政府や大企業が敗訴になってしまう。そんなことをしたら、裁判官は不利益を被る。政府を敗訴させることが続いた裁判官は左遷される。あるいは勝訴させた大企業に天下りして働きもせず高級をもらうという買収も同然のことをする裁判官がいる。

 だから、藁人形論法を使うのだ。訴えの内容と違うようにスリ換える。東京地方裁判所の行廣浩太郎のように、違うように書き換るよう原告に迫る露骨な判事までいる。



 公安委員会は警察への苦情で藁人形論法を使う。

 ここは警察への苦情を聞くのが仕事だが、身内なので何とかして庇いたい。しかし、苦情は本当で、かなり酷い。だから聞かないわけにはいかない。それで否定するため訴えとは違う内容にスリ換えてしまう。

 そのうえで「それって、あなたの感想ですよね」みたいに言う。


 つまり、弁護士だけでなく裁判官も公安委員会も西村博之と同じなのだ。

 実に滑稽だが、笑ってばかりもいられない。西村博之なんて大した問題ではないのだ。もっと責任ある立場で人命まで左右する公権力を振るう公的機関が、ひろゆき式ばかりなのだ。

 これによって、誰でも、いつ殺されるか解らない状態に置かれているのだ。非常に恐ろしいことで、決して脅しではない。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年12月30日
  • 読了時間: 2分

 神戸地裁が判決のなかで、制服着替えを労働時間に認定した。

 そして、その分の支払われなかった給与など320万円を日本郵便に賠償命令した。これは着替えのさい職場の場所が指定されていたことから監督下にあったという結論であった。

 

 そもそも、制服着替えを労働時間外でやれという職場に驚かされる。

 なぜなら、法的に、業務にとって必要不可欠な作業は労働時間となっているからだ。着替えなくてよいならともかく、制服の着用は義務である。実際に郵便局で働く人には制服を着ていない人もいる。それを制服着用なのに着替えは労働時間外としていて、それは違法だという判決に日本郵便は不服を表明していた。

 だから、正直びっくりである。



 時間外に制服に着替えておけというのは昭和の価値観である。

 着替えて仕事の準備を万全にしてからタイムカードを押すのだと言う人は、職場の上司に昔は普通にいたものだった。

 そんな数分をケチっても無意味だが、仕事の心構えとして言う。つまり精神論である。昭和なら精神論が当たり前で、そんな滑稽なことをして何か大切な意義があると思い込んでいた。ただの信仰である。

 しかも、昭和の時代でさえ、そんな馬鹿げたことはしていない職場も少なくなかったはずだ。


 だから日本郵便の裁判があったこと自体に驚かされるのだ。

 
 
 
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