top of page

​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年8月11日
  • 読了時間: 2分

 東京オリンピックは運動会とおなじように気候的に向いている10月の開催だったはずだが、それだと米国プロスポーツのクライマックスと重なってしまうから早く終わらせろと米国のテレビ局が捻じ込んで真夏の開催になってしまった。

 それで心配されたとおり暑さで倒れる選手もいて、対策に慣れている日本の選手が有利となり、最高の金メダル数になったけれど喜んでいいものかと言われている。


 ここで、マラソンはさすがに危険だからと札幌で行ったが、あまりの暑さで途中棄権者が大勢出て、完走した人もフラフラになっていた。

 かつて札幌で冬季オリンピックが開催されたが、これは飽くまで「冬季」であり、北海道の雪の質が冬のスポーツに向いているからだ。

 また、札幌や旭川がある道央は山があるからスキーやスノーボードが出来る自然環境であり、特に旭川は雪が良いからと外国のスノーボード愛好家がやってくるほどである。

 しかし夏は暑い。短いだけ。札幌は九月になるとすぐ夜は二十度以下になる。しかし八月は関東地方より気温が高くなる日がある。


 もちろん、だいたい北海道は夏でも他の地方よりは涼しいが、夏でも涼しい最たるのは根室などがある道東だ。

道北は山が無いのでスキーやスノーボードはできない。それで観光といえば稚内の流氷見物である。そして寒さは厳しい。けれど最も夏に涼しいのは道東であり、場所によっては道南の方が道北より涼しい。函館が暑くても大沼など水があるところは涼しい。



 ということだから、夏に東京オリンピックを開催してしまい、仕方なくマラソンだけは北海道としても、大沼の周辺を走るならともかく、冬季オリンピックじゃないのに内陸で暑い札幌にするのは北海道を知らない人の発想だ。

 このように、暑いのを避けて夏は北海道で過ごしていた者としては呆れている。この北海道での避暑は、前にTwitterの写真で見た人は憶えているだろうけれど、今年もキャンプ場に来る子供たちが、いつもクワガタムシを見つけてくれるおじさんが来てなくてガッカリしているのではないかと残念である。


 
 
 

 オリンピックは、とうに役割を終えた過去の遺物だと世界中で言われているのだから、メダルに価値はない。もともと、どんなメダルもトロフィーもガラクタでしかないと言われてきた。


 「なぜ軍人は酒にも酔わず勲章下げて歩くのか」と芥川龍之介は皮肉って書いたが、酔っぱらってもいないのに人を殺したことを自慢しているのは不可解で当たり前だ。

 また、ジョンレノンは、ヒット曲で米ドルを稼ぎ英国経済に貢献した功績により受けた勲章を、戦争で米国を支持する英国政府に抗議を込めてエリザベス女王に返したが、後から実は戦争に抗議というより勲章なんか持っていることは恥だと思ったからだと言った。


 今、世界的に深刻な伝染病で死者が出て、そのうちには生活苦による自殺者もいるという事態なのに、感染拡大をもたらすオリンピック開催を強行し、これに批判や抗議した市民が警察に迫害され、些細な口実で逮捕されている人までいる。

 そんな中で、自分の名誉と利益しか考えずにメダルを取ったと喜び誇っているなど、まさに「酒にも酔わず勲章下げて」いるのとに同じである。



 昔~昔、テレビで見たアニメにあった話だが、スポーツ大会での活躍を学校から期待される生徒の素行の悪さを咎めた主人公は、学校の名誉になる生徒だから大目に見るべきだと言われて、それとこれとは別だと指摘したら「愛校心が無い」と非難されてしまう。

 これは今も相変わらずで、よく大きな大会で活躍した選手が思い上がって不祥事ということがあり、騒がれることも隠蔽されることもある。世界各地にあるが、日本の場合は柔道にひどさが目立つ。

 また、自分の親族が通っていた高校は、野球部が何度か甲子園大会に出場しているので、野球部員はとにかく野球の練習ばっかりで良いとされ、野球部員なら試験でカンニングしても見て見ぬふりだった。だから、「かつては野球を宣伝に利用している宗教系私立高校から有名私立大学に野球で推薦入学が普通にあったのに、それが次第に拒絶されるようになったのも、野球部員の成績水増しが疑われたから」という話に、その親族は「公立の高校でカンニング黙認だったのだから、宗教私学だったら成績水増しくらい当たり前でしょう」と言っていた。


 そうまでする意味があるのか。  そんなことをするためにスポーツがあるのだろうか。


 「私が敗れたのはワーテルローの戦いではなく、英国の運動場だ」とナポレオンは言った。

 これは、戦争に勝つためには強い兵士を養成する体育が重要だった時代のことで、今は昔のことである。

 あとはエンターテインメントとしてのスポーツ大会だが、これも人間の身体能力が限界に達して行き詰まっている。特にオリンピックでは新記録が更新されることで話題になってきたのだから、それが無いとつまらない。そうなると、いずれはオリンピックでドーピングが解禁されるはずだと二十年くらい前から指摘されてきた。


 だから、もうスポーツ選手がヒーローとかスターとか言う時代ではない。

 また「選手」も要らない。記録とか勝敗は無意味だから。みんなで平等に、それぞれで、楽しんでスポーツをするべきである。


 
 
 

 オリンピックで選手がメダルをとったら、嬉しいのは本人および支えた周囲の人たちである。

 あと、その競技の種目に関心がある人なら面白いはずで、これは趣味の問題だ。それ以外の他人は無関係である。

 ところが「同じ日本人として誇りに思う」と、自分は何もしてないくせして他人の努力の成果に便乗する人がいる。日本人特有の集り根性の延長線上にある。



 そんな卑しい感情ではなく、本当に心から素直に、オリンピックで活躍し成果を出す選手がいることは国民として嬉しいことである。

 なぜなら、スポーツできる安定した社会なのはありがたいことで、しかも国際大会で活躍する人までいるなら実に結構なことだから。戦争や貧困でスポーツどころではない国もあるのだ。そういう他所の国の人たちにも思いを馳せる必要があって、この大切な問題を忘れないなら、自分が居るのはスポーツもできる国だから良かったと思うのは当たり前である。


 そういうことであるから、政治が悪くて生活苦の人たちが大勢いては、いくらメダルをとった選手がいても虚しくなるのだ。

 こうなると、素直に祝えないから同調圧力による作り笑いが増えて、これをマスメディアが空虚に騒ぎ立てることになり、称賛と祝福を受ける選手も可哀想である。選手にはどうしようもないことで、責任は政府にある。


 ただし、政府に責任があるだけで選手は全く関係ないのかというと、それも違うだろう。

 もちろん、政府が伝染病対策をきちんとやって、安心してオリンピックを開催できるようにすればよかったが、そうではなかったのだから、そこで出場した選手たちは大勢の人命より自分の利益や名誉を優先させたことになる。

 実際に、選手たちのインタビューをテレビで見ていて、自己愛ばかり強いのが感じられて不快だと言っている人たちが結構いる。マスコミが取り上げないけれどSNSでは顕名で堂々と指摘している人もいる。

 これだから称賛や祝福などしたくないと言う権利はあるだろう。これは努力した人を侮辱するのとは違う。今日の生活が苦しい人や死に追いやられている人たちが大勢いるのだから、当たり前である。自分だけ勝ち組になりたいと言うのは勝手だが、そんな人は軽蔑すると言うのもまた勝手である。



 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page