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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年9月9日
  • 読了時間: 2分

 都知事は関東大震災のさい虐殺された朝鮮人への追悼を拒否し続ける。

 また、差別主義者たちの団体に東京都が肩入れするも同然の行動を取り続けてもいる。これは小池百合子という人の信念ではなくウケ狙いであろう。

 この指摘は既にされてきたが、では、どんな人たちにウケるのだろうか。

 

 SAPIOとかHanadaとかの雑誌を読んでいる層だと指摘がある。

 この非良識的右派の雑誌さえ読んでいれば、近代史について専門書・学術書を読まずとも何とかなるという知的弱者に、小池百合子都知事は迎合している。そうすれば弱い人に特有の自分より弱い人を虐げたいという劣情を刺激できて、それが選挙の票につながるということ。

 選挙で小池百合子に投票してなくても、この種の雑誌を読む人は滑稽である。

 

 大学で専攻することが必要なのではない。

 そんなこと言いえない。学位を取得した専門の分野で基礎的な知識が無い人は、大学の教員でさえいるほどだから。ただ、大学で専攻した人に対して独学した人が対抗して「装丁ばかり立派な本しか読まないのでは知識は本物にならない」とでも言うならともかく、独学ではなく程度の低い俗論をドヤ顔して説く姿は滑稽なだけだ。

 そういう人を作るためのような記事構成をしているのがSAPIOなどの雑誌だ。

 



 これは具体的にあった話である。

 その男は大学で政治経済を専攻して卒業しているが、大学を出ていない知人の男から政治経済について上から目線で程度の低い話をされた。その知人はSAPIOを愛読していた。その人は、ただ呆れただけだった。

 だが、その人の配偶者が、あるとき話を傍で聞いていて(SNSだったかもしれない)不快感を持った。彼女はSAPIOなんて雑誌は読んだことがないどころか存在も知らない。そもそも政治経済にも興味が無い。理系の女子だった。だが、オソマツさは解る。「あの人、嫌い」と怒って言った。

 それで、つまらない話を聞かされたうえ配偶者から怒られてはたまらないし、もともと特別に親しい人ではなかったから、つきあうのは止めたと言うのだった。

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年6月17日
  • 読了時間: 2分

 LINEは役に立つのか。

 これは日本で七割ものネットユーザーが使っていると言われる。しかし、アプリケーションをダウンロードしてアカウントを登録したものの、まったく使っていない人もいる。自分も、そうである。



 漫画の中で、家族や恋人とやりとりしているのがあった。

 そこで夕食の献立はどうするのかなど便利そうにしていたり、女性から好意を持たれた男性が連絡について「LINEやってないけど」と言ったりしていた。

 それだけ、使う人と無関心の人とがいる、ということの反映だろう。


 よく解らないのは、LINEならではの便利さというもの。

 これは、Eメールのやりとりと違って会話がチャットのようになるから日常的な感じがして良いということで、しかし、それだったらバツ(エックスとも言う旧ツイッター)だって同じ機能があり、そんなに変わらないような気がするのだ。

 どうなのだろうか。ここが素晴らしいなどと思うことがあったら、ぜひ教えて欲しい。


 ちなみにSNSとは便利だが奇妙なこともある。

 前に友達と久しぶりに会ったさい、何か月かぶりだと思ったら実際には何年かぶりだった、なんてことがあった。SNSで毎日のように顔を合わせるようにしているため錯覚したのだった。

 ただ、会って一緒に飲食せずとも自宅でそれぞれ飲食しながらSNSで話せば楽だし安上りだし終電を気にしないでいい、というのは結構なことではある。飲食店は困るだろうけれど。

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年5月18日
  • 読了時間: 3分

 『がくらんエレジー』というマンガがあった。

 これは七十年代の後半に少年誌に一年間の連載だった。描いているのは弘兼憲史で、彼が漫画家として初期だった頃の、おそらく唯一少年漫画だったと言われている。

 なんでこの漫画の話題を取り上げるのかというと、前にここで話題にした「高校で留年している生徒と仲良くするのは避けるべき」という問題と関連しているからだ。



 さて、このマンガには主人公に実在するモデルがいる。

 その、自身で書いた自伝が原作ということである。この人は後に医師になったらしいが、もともと医学部を志望していて学校の成績は良いものの喧嘩っ早い性格で、それが原因で高校を退学処分になってしまい、翌年に他の高校を受験したら、前歴にもかかわらず成績優秀ゆえ合格して、一年生からやり直しする形で入学する。そこが物語のはじまりであった。

 そして親友も彼女もできるが、そこで色々ある。


 まず彼女が不良にからまれたことで、また喧嘩する。

 それは仕方なかったが、その時の彼の顔つきに彼女は「怖い」と言う。喧嘩して気が立っているから当然の部分もあるけれど、彼女は助けてくれた彼の方に怯えてしまう。これを気にして、彼は兄と一緒に銭湯に行ったさい、鏡で自分の顔を凝視して考え込んでいたら、兄が「自分の顔を見て良い男だと感心しているのか」と揶揄われてしまう。それで兄に自分の顔は怖いかと訊く。付き合っている女の子に言われてしまったのだが、と。それで兄が言うには、そんなこと普段は無いが、たまに感情的になってカッっとした顔が、身内でもゾッとすることがあると指摘した。

 そのさい、兄が弟の付き合っている女の子に興味を持ち、見てみたいから紹介しろと言う。そう言われて軽い気持ちで「いいよ」と言った。


 ところが、彼女に「兄貴と会ってくれないか」と言ったところ、彼女は難色を示す。

 付き合い始めて間もないのに相手の家族に会うなんて困るということだ。彼は自分と家族を信用してもらえないのかと怒って「もう頼まない」と言う。

 これを親友に窘められる。家族に会うのは公認の仲になるということだから、どうしても慎重にならざるを得ない。色々な影響があるので女の子が心配するのは当然だ、と指摘される。これを彼は納得できなかったが、親友は言う。「女性は自己保身本能が強いから仕方ない。俺は姉妹がいるけれど、お前には兄弟しかいないから解らないんだ。それに比べたら俺の方が女のことを知っている」

 この親友との関係について、一部の教師は年齢差から親分子分の主従関係のようだと悪く受け取っていて、彼に嫌味を言うこともある。しかし実際には対等の関係で補完し合ってもいる。

 この漫画のように、能力ではなく個性が強すぎるのが問題であるなら、気が合うなら付き合って有益だ。


 それと、ただの落第生では意味が違う。

 だから前に話題にした、自分が高校で悪意ある教師から同じ組にされて世話を押し付けられた落第生は、高校生にもなって、しかも年齢は一つ上なのに、発育障害で頭の中が小学生だから、ちょっと女子と会話しているだけで邪魔に入り、小学生の男子が言うのと全く同じ調子で「女の子と話すなんて、おかしいでしょう」と言う始末であった。

 あと、同じ悪意ある教師のため、他の落第生の世話を押し付けられた人が犠牲になって、その人はもっとひどい目に遭っていたこともある。それで留年生に優しいと言われた偽善者の鏡のような教師だった。

 だから相手次第だけど、教師が反感を持つ関係ならむしろ良いこともあり、教師の都合で出来損ない落第生を押し付けてきた場合は、教師がそういう態度を取るから気づかないといけないし、気づいたら強硬になってでも留年している生徒とは関係を断つか距離をおくべきである。

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©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

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