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  • 執筆者の写真井上靜

白土三平の作品にある普遍性


 特に忍者で知られた漫画家の白土三平が死去したそうだ。

 この劇画とも呼ばれた緻密な作画と強烈な物語は、かつて絶大な人気を誇っていた。しかし映画化やテレビアニメ化されると、それは抑制されたものになった。『ワタリ』が金子吉延(これが縁で後に横山光輝の忍者物で青影を演じる)の主演で映画化されると子供むけの特撮物となり、その社会性欠落した出来に作者は大いに不満だったらしい。

 またテレビの連続アニメ映画となった『サスケ』『忍風カムイ外伝』は良く出来ていたが、完全に娯楽となり、『サスケ』の最後は原作と違うハッピーエンドだし、『カムイ』では設定から差別問題が欠落していた。

 その中で唯一、封建制度批判というよりもっと激しい階級闘争になる原作を尊重していたのが大島渚監督の『忍者武芸帳』だった。アニメではなく、紙芝居それも新たに絵を描くのではなく原画を接写したものだった。その後は、『カムイ外伝』がラジオドラマになったり実写映画化されたりと、人気は相変わらずであった。原作も発行し続けられていた。



 このように人気があっても、なぜかマスコミは時代遅れと定義していた。 

 それは70年代の大衆運動時代から80年代の消費社会に以降したことで、階級闘争など過去のものだということだった。それにしては人気が根強く、ただの活劇というだけに留まらなかった。マスコミが何らかの政治的な意向をうけて否定したがっているような感じだった。

 そこでは、白土三平が世捨て人のような生活をしていることも影響していたはずだ。千葉で海を相手にした生活をし続け、まるで作品中に描かれる自然と生活の技術という主題を実践しているようだった。その成果は90年になって写真集として出版されていたが、これをもって彼が政治的に行き詰まり社会から遠ざかっていると解釈する向きもあったし、当人も政治的な問題を描くつもりはないと明言していた。


 もともと白土三平が階級闘争を描くようになったのは父親の影響だと言われる。

 その本名は岡本だか、父親の岡本唐木は日本のプロレタリア美術運動の中心である洋画家だった。かつて黒澤明が画家を目指していた当時、風景画や静物画では飽き足らなくなり力強い絵が描きたいとプロレタリア美術研究所に出入りしていたが、そのさい岡本唐木が黒澤明の絵に批評を書いているのが残っている。明るいのは良いが無邪気すぎるという趣旨だった。黒澤明は政治が解らなかったということを自分でも言っていたが、当時、彼が書いた労働運動のポスターは「失業保険制度を作れ」というものなどで、この程度でも当時は警察に睨まれたのだった。


 かつて自分は白土三平の作品は少年時代よく読んでいた。

 それまで熱心に読んでいた松本零士の作品に描かれる厭世的個人主義というべきものに限界を感じたからだ。そして旧文芸坐で『忍者武芸帳』を見たり、『カムイ伝』を買って読んだりしていたが、封建時代の日本人が、こんな啓蒙された発想ができるはずが無いと思った。それが人気を博していたのは、やはり昔の大衆運動が盛んだった時代だからで、しかしそれが時代遅れになったのではないはずだ。

 もともと時代劇でもSFでも、現代の人間を客観的に描くため別の時代を舞台にするものだ。白土三平も松本零士も、登場人物の実質はすべて現代人である。そして、かつて70年安保とかの大衆運動していた日本人の殆どが、劇中に脇役として出てくるその他大勢の農民などと同じで、実は何も解っていなかっただけ。このことは、あの時代に己を先端的だったと信じて今も他の人たちと違って啓蒙されていると思い込んでいる世代の人たちと接したら、とてもよく理解できた。


 おそらく、『宇宙戦艦ヤマト』がリメイクされたように『忍者武芸帳』が前と違う洗練された形で映画化されることもあり得るだろう。

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