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  • 執筆者の写真井上靜

最高裁判事は上告を自分で読んでない

 最近も、杉田水脈議員の敗訴確定などで報じられている。

 最高裁が上告を棄却したという見出しに、最高裁の第○法廷の○○裁判官と説明がある。これでは、最高裁の裁判官がきちんと判断したように思ってしまう。実際に多くの人が思っているし、報道関係者も同じように勘違いしている。

 そんなことあるはずがない。



 最高裁は一つしかない。

 そこへ全国の裁判所から上告が集まって来る。これを最高裁の裁判官が読んで考えて判断するなんて無理に決まっている。それに、上告が多いのは、時間稼ぎで無駄なことをする者もいるが、多くは一審・二審が杜撰だから審理不十分で上告している。

 また、憲法に違反していると訴えても、一審・二審の裁判官が憲法判断するなんて生意気なことはしない。最高裁判事サマに失礼である。それでいて、だからと最高裁に憲法違反を訴えても、門前払いされる。違憲の発見が困難であると言われているが、弁護士や法学者といった専門家が力を入れても、具体的な説明が無く門前払いである。


 では最高裁判事がいい加減なのかというと違う。

 よく、良心的な最高裁判事が担当したので期待したらケンモホロロだったということがよくあるけれど、それで見損なったと勘違いを言う人がいる。そう仕向けるのが目的なのだ。

 そんな裁判官のところには届かないようにさせたうえ、良心的な最高裁判事の評判を墜としてやろうという意図である。


 最高裁では最高裁判事の所に行く前の審査がある。

 それを最高裁判事ではない地裁から来た裁判官が担当していたりするので、地裁の不正を庇う為に最高裁判事のところに行かないよう門前払いしてしまう。それでも下請けで裁判官がやっていればまだマシで、裁判官でないものがやっていることがある。

 だから上告の内容と齟齬のある決定がされることが非常に多い。


 最高裁判所なんて無意味だから廃止せよと言われてきた。

 そして諸外国でやっているように憲法裁判所にするべきだと提案されている。もちろん制度を変えるのは困難である。だから今の制度で不正をしている最高裁を追及するべきである。上告と齟齬があったら簡裁か地裁に訴える。それを裁判所が判決で認めることはないけれど、訴えが多くなると影響がある。異議申し立ては無駄。

 また、最高裁判事の国民審査というイカサマも廃止するべきだ。何も書かずに投票すると信任したことになってしまうので、何も書かない人は投票用紙を受け取らないことになっている。

 だから「棄権します」と言うのだが、制度がインチキなので「ボイコットします」と言うのが適切である。

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