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​炬火 Die Fackel 

 朝日新聞が土曜日の夕刊を休むと発表した。

 これは人手不足が原因だと言っている。値段は変わらないから値上げなのではないかと言う人もいる。かつてどの新聞も休刊日が増える度に実際値上げだと批判されていたけれど、それと違い、本当に人手不足だろう。そうでないと、こんなことはしないから。


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 新聞配達が大変なのは朝刊である。

 これは自分もやったことがあるから身をもって知っている。特に冬の早朝はつらい。配達したことがある同級生も言っていた。地元の朝日新聞販売店で配達を短期間やったが、そんなに長くやるつもりではなかったのに、冬が近づくと辞める人が続出して、だから短期間のつもりだったのが、もう少し続けてくれと頼まれてやったところ、冬の早朝に「草木も眠る丑三つ時」に起きて出るのはつらかった。それで、なんで前もって辞める人が続出したのか訳がわかったという。


 これと夕刊は違う。

 だから、小学生が最初のアルバイトとしてするなら夕刊の配達がいいと言われていた。朝刊と違ってチラシを挟むことがないから軽くていい。ところが、人手が足りないということだろう。朝刊の場合は大変だけど、終わったら次の日まで空く。それなのに夕刊も配達すると、それに拘束されてしまう。だから夕刊だけ専門に配達する人を別に確保するほうがいい。そうなると、なかなか人が集まらない。夕刊だけの配達ではお小遣い稼ぎ程度であるから。


 「新聞少年」「新聞奨学生」という言葉があった。

 これは、経済的に恵まれない未成年者を底辺で働かせていたということだ。そんなことが続いてはいけない。外国人が配達することも、かなり前からあった。

 だから人手不足という事態になる前に、配達のことは解決しておかなければならない課題だったのだ。 


    

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 6月6日
  • 読了時間: 2分

更新日:6月6日

 小泉古古古米は「ななひかり」と命名した人がいる。

 失政を誤魔化してマスメディアで選挙向けパフォーマンスは空々しいが、テレビばっかりの老人は騙されるのだろう。

 米が不作でもないのに店から消えたのは、値を吊り上げるため隠している業者がいるとしか考えられないが、それ以前に米農家が激減していることが指摘されてもいる。

 

 米は自分で作るといい。

 それなら、自分で食べるだけだと規模が小さいから農薬に頼ることもなくなる。ところが米は害虫だけでなく、それ以上に害鳥の被害が深刻だ。

 まず、米を作るのは、そんなに難しいことではない。ベランダにバケツを置いて稲を植えて、そのまま収穫までもっていくことが出来る。これは、自分でやったことがある。

 そのとき、収穫しようとした早朝に雀が来て食い荒らされた。追い払ったけれど、損害があった。この体験で、米を雀に食害される深刻さが、よく理解できた。ちょうど良い時を狙って嬉々として飛んで来る雀が、これほど憎たらしいとは、それまで知らなかった。


 雀の米被害は深刻だ。

 かつて中国では、米の食害に頭に来てしまい、国を挙げて雀狩りをして、絶滅させてしまえとまで言っていた。その結果、害虫の被害が増えてしまった。雀は雑食で虫も食べる。それが激減したからだ。生態系を勝手に変えるわけにはいかないのだ。

 あの万国博覧会の大量発生した蚊も、それを餌にする魚や鳥を追い散らしたことが原因と指摘されている。幼虫は汚れた水の有機物を食べて浄化させてもいる。それなのに、自然の循環を狂わせたから大変なことになった。『風の谷のナウシカ』と同じ図式だ。


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 カカシを英語でスケアクロウという。

 カラスを怖がらせる、という意味だから、やはり米英では農業の中心が稲作じゃなかったということか。あと、日本のカカシと違ってスケアクロウは二本足だ。

 それはともかく、小規模であれば、稲作は難しいとか大変とかではないので、みんな試してみたらいい。

 
 
 

 外国人観光客のマナーが悪いと文句を言う日本人がいる。

 とくに中国人の田舎者が傍若無人であるからだ。セレブとまでいかないけれど、そこそこ余裕のある層の人たちが、近場の外国に観光に行き田舎者まる出しで行儀が悪い。

 しかし、日本人も昔から「農協ツアー」が同じだった。だから筒井康隆が『農協月へ行く』という小説を書いてウケていた。月に観光で行けるようになったら、そこで農協ツアーの集団が田舎者まるでしてマナーの悪さを剥きだしにする話だ。


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 買春ツアーも国際的に顰蹙を買っていた。

 これは日本でも恥ずかしいと言われ、テレビなどマスコミでも取り上げられていた。日本は「恥の文化」がある一方で「旅の恥は搔き捨て」とも言われている。それで外国に行くとマナーが悪いうえ、買春も盛んにやっていた。それが会社の仕事で外国に行って、ついでに個人でコッソリというのではなく、上司や取引先が率先してのことだった。

 特に東南アジアでは、児童買春の客にもなっていた。かつての円高の時は、その格差を利用して東南アジアに行って児童買春の客になり、それを帰国してから大喜びで語っていた日本人が大勢いた。


 台湾の映画にも描かれていたので、NHKが取り上げていた。

 ここで映画解説者の佐藤忠男が出ていて、外国の映画で日本人がどう描かれているのかという話題の中でのことだった。

 いかにも日本人の会社員のオジサンという人たちが仕事で台湾に来ると、会社ぐるみの買春で狂喜のうえ、その話を白昼堂々と街中で楽しそうに話すから、取引先の社員で案内役をしている若い台湾人男性が注意する。「台湾には日本語が解る人が大勢います」と。

 ところが日本人のオジサンたちは、どうせ日本に帰るのだからいいんだと言う。「旅の恥は搔き捨て」ということだ。しかし案内役の若い男性が「でも、後で、こんな日本人たちがいたという悪い評判が立ちますよ。どこの国でもそうだけど、台湾だって、人前で平然とセックスの話をすることはありません。マナー違反です。日本語が判る人が多いのも戦争中のことがあったからです。だから、なおさら…」というと日本人の会社員のオジサンは「日本は戦争で何も悪いことしてない。鈴木明の『南京大虐殺のまぼろし』という本を読めばいい。あんな事件は無かったんだ」

 これに台湾の男性は、商売の取引とはいえ、こんな日本人と付き合うべきなのかと悩む。


 つまり外国と商取引していても実は「井の中の蛙」でいる日本人ということ。

 だから国内で歴史修正主義を頑張ってみても、それを外国からは無反省が今も続いている恥知らずの日本人と受け止められているということだ。そして、いずれは「金の切れ目が縁の切れ目」となる。

 実際に、日本人のマナーが良くなったのではなく、日本は金が無くなって今までのように出来なくなっただけ。かつては「じゃぱ行きさん」と言われた日本に買春に行く女性がいたけれど、今では逆に日本人女性が外国に出稼ぎ売春したり、街頭で十代の女の子が「立ちんぼ」したり、という現状である。

 いま、日本人が外国人観光客のマナーを悪いと言っても、それはかつて日本人が外国に行ってやっていたことであり、それが経済的優位さが逆転したため、やられているということなのだ。だから、外国人のことを言えば言うほど日本人が恥ずかしくなってしまうのだ。「日本人は中国人と違って礼儀正しくてマナーが良い」と言ってもらえるのは、日本人の方が金を持っていたからで、そうでなくなれば言って貰えなくなる。売春でも日本人が好評だったのは、あくまで「払いが良くて、早く終わる」からである。そう言われて散々、笑われていた。これからは日本人が好評なのは「早く終わる」だけである。それを心すべきだ。

 

 
 
 
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