- 井上靜

- 1月18日
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迷惑YouTuberとして反社会的行為を繰り返し逮捕歴まである「へまずりゅう」こと原田将大が、やらかした。
必要不可欠ではない場で『君が代』が強制され、みんな同調圧力に屈しているところで、ベテラン議員(共産党所属)の女性が起立しなかったことを非難し、日本から出て行けと罵った。
これに共産党が抗議文を出したそうだが、出すべきなのは感謝状だろう。こんな立派な党員がいると広報してくれたのだから。

また、へまずりゅうに賛同して汚い言葉を投稿しているのは、みんな匿名の無責任なアカウントばかりだった。
それとは少し違う人も一部にいたが、例えば自民党の地方議員(秋田県)など、便乗しながら自分は少し違うみたいなことを言う姑息なことをしてヒンシュクを買っていた。この人は卒業式などを引き合いに出して、子供たちに権勢に媚びたり人の顔色を伺ったりする嫌らしい人間になれと言っていたわけで、これが日本ではまかり通ってしまう。 これだから日本は品格が悪いのだ。
そもそも『君が代』を法律で正式に国歌としたのは憲法違反だ。
憲法は国民が望めば改訂できると規定している。これには当然のこと一条も含まれている。なのに、天皇の半永久的な存続を願う歌詞を強制するのは、国民の自由と権利を否定するもの。したがって拒否する方が合憲で、拒否を否定する方が違憲である。
ところで中国には、こんな法律がある。
「国旗掲揚中は、出席者全員が国旗に向かって直立不動の姿勢をとり、敬意を表し、または定められた敬礼を行い、国旗の尊厳を傷つけるような行為は行わない。」 中国国旗法第14条より一部抜粋
だから、日本の右派は中国の悪口が好きだけど実は同じ考えだと皮肉っている人たちもいる。しかし、それは違うだろう。すでに指摘されているとおり「日の丸・君が代」そのものが歴史的に負っている罪悪を「マナー」や「強制」の問題にすり替えてしまっている。
もともと中国の国歌はパルチザンの歌だった。
中国のほかにも歴史的な歌を記念に国歌としている国は、フランスなど他にもある。そして中国の国歌は「立ち上がれ、隷属を拒め。敵の砲火をくぐり抜けて前進、前進、前進だ」という歌詞である。こういう内容の歌だから、権力により強制されることは嫌だとしても、歌詞が嫌だとは言わない。これについて中国人の若い人たちに色々と聞いたことがあるけれど、歌詞の内容そのものに反対は無いということだけは一致している。
ところが日本の国歌は違う。
中国の国歌は「奴隷になるな」という歌詞だけど、日本の国歌は「我々は奴隷です」という意味になる歌詞だから、これを強制されるのは「奴隷になれ」と言われるのも同然である。
これは英国の影響である。だから英国では、そんな封建的な国歌に反対や拒絶をする英国人がいる。これは結構な多さである。よくサッカー試合のセレモニーでも歌わない選手が話題になっている。
しかも、敗戦で天皇は米国の下僕にされてしまった。例のマッカーサーの隣で緊張する天皇のツーショット写真や「原爆の犠牲者は気の毒だが戦争だったからやむを得ない」と記者会見でおどおどびくびくして言った裕仁天皇のようなことがあり、それでロシアのプーチン大統領から「抵抗できない状態で二回も核攻撃され多大な非戦闘員の犠牲者が出たのに、そのことを日本は教科書に書くことが出来ず、どこの国から核攻撃されたかもあやふやにされている」という指摘を会見で言われてしまう。

なるほど、だから自民党を中心とした対米隷属の勢力が国民に『君が代』を強制し、それを拒むと「奴隷が生意気だ。誰が主か教えてやる」と言うように、権力と暴力で迫害する。今回も起立を拒んだ議員には脅迫が相次いでいる。
こんな実態の、どこが愛国なのか。
それが嫌なら日本から出ていけと言っている人達は、奴隷でいいのだと言っているか、何も考えてないのか、どちらにしても人間らしく生きることを放棄しているのだ。
これを多くの日本人は知っていて、だから起立を拒否した議員に共感したり、それができないから悔しくて同議員を非難することで自分で自分の心を欺いたりしているのだ。


