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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真井上靜

 かなりの高齢と見える男性に話しかけられた。

 それは自宅近くの路上でのこと。そこに車椅子や介護用品の貸し出しをする会社の事務所ができたから、これについての話題を、その人は誰でもいいから通りかかった人と語らいたかったようだ。

 この人は歩き回ることはできるが、片眼がほとんど見えないだろうというほど黒目が白濁していた。その人と他愛ない世間話という程度のことだった。しかし楽しかった。雰囲気が陽気な人で、また温和だったからだ。



 こういう人と違い、険悪な老人から不愉快な目に遭ったことが、先日あった。

 それは公共の場で座っていたところ、正職員ではないシルバー人材で手伝いに来ている老人が、突然に老人特有のブチキレかたをして言いがかりをつけてきたことだった。なんと、その爺さんが鼻の下を伸ばしている婆さんに、席を譲れと言うのだ。席ならまだ空いているのに、何を言っているかと不可解だった。

 このようなシルバー人材が、仕事で使えないうえ無茶苦茶な言動をするため、そんな老人は雇わないでくれという苦情は全国でよく聞く話である。


 こうしてみると、老人であるかは関係ない。

 あくまで人柄の問題である。ただ、高齢になると判断力の低下により上辺を取り繕うことができなくなる。それで地の性格がもろに出るのだろう。

 それで、今年に入ってから両極端な高齢者と接し、楽しい人もいれば、嫌な人もいる、ということになったのだろう。正直に言うと、楽しかった人は先が短いのが一目瞭然の老人だけどなるべく長生きして欲しいし、まだまだ生きられそうでも嫌な人の老人には今すぐにでも死んでほしい、というように本気で思った。

 それくらい人柄が違うのである。この差はどこに原因があるのだろうか。

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  • 執筆者の写真井上靜

 グーグル社の経営が問題になっている。

 米国のグーグル社が、イスラエルとのクラウド契約に抗議する従業員28人を解雇したそうだ。イスラエルによるガザ大虐殺にからみ、責任者と面会を求める社員が座り込みをしたことも報じられていたが、ついに社員放逐にまで至ったわけだ。

 他にもグーグル社は国際的問題を起こしている。


 中国とのこともある。

 中国では、米国のプロバガンダや情報操作を警戒しているので、インターネット上でも規制をかけている。これは当然の警戒だが、国家権力による規制は言論の自由などの問題になるので、グーグル社としては自由の尊重を優先すると表明してきたはずだ。

 ところが、結局は中国の意向を受け容れたグーグル社。米国の手口があまりに汚いということではなく、中国の巨大な市場に旨味があるということらしく、かなりの批判があった。

 そうしたら、今度はイスラエルの件だ。



 前にグーグル社のやり方が酷すぎるという記事を雑誌に書いた。

 これを読んでくれた人なら解るはずで、既に日本でも怒っている人たちがいるというのが実態である。そういう記事だった。

 また、いい加減な情報に無頓着であり、これにより現実とは違う世界がインターネット上だけに出来上がってしまっている。


 グーグルマップやストリートビューで顰蹙も買っている。

 前にグーグルマップで、公的機関の場所がここだという所が空き地で、移転したのかと思ったら地図が100メートルほどずれていた、という困ったこともあった。またストリートビューは人がいた場合は映っている顔に自動的にボカシがかかるけれど、それ以外でも干してある洗濯物とか写されたくないものがあって苦情が出たりしている。

 それでも有用性を認める人は、撮影のさい告知すればいいと提案する人もいる。ちょうどチリ紙交換のように拡声器で「毎度おさわがせします。こちらはグーグルです。ただいまストリートビューの撮影をしています。写りたくない人や物は隠すようにおねがいします」と言いながらクルマを走らせるべきだ、と。


 とにかくグーグル社は、優れた手法の数々で先行していたライコスなどを駆逐したが、それで巨大化すると、当然のことかもしれないが、困ったことをするようになったのだ。

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更新日:6 日前

 コロナウイルスワクチン被害の賠償を請求する集団訴訟が提起された。

 新しい病原体による病気なのだから、その医薬品も拙速になるのが当たり前である。これでは被害が出ても当然のことだ。そして危険も指摘されていた。費用の莫大な無駄遣いは、深刻というべき額である。





 あと、外国の製薬会社という問題もあり、日本の製薬会社は薬害を何度も起こしているが、もともとは外国の製薬会社から発していることが何度もある。

 それについて、かつて薬害によるスモン病が大問題になったさい、その被害者の一人である女子大生の親と軍隊で先輩の関係だった例のルパング島の小野田という人が、その女子大生に会って言ったそうだ。彼は戦地で米軍が残した物資を利用することならあったが、医薬品は信用できないから使わなかったとのこと。


 そもそも医師は何も解らない。

 よくある風邪で葛根湯を出すのも、医師は箱に書いてある能書きすら読んでいなかったりして、実にいい加減である。こんな調子が元々なのに、新薬なら大丈夫という滑稽なことがありえるものか。

 それに、医師が大丈夫とか安全とか言うと、危険である。その構造があるからで、単に不信感ということではない。


 心配だからこそ安全だと医師は言う。

 なぜなら、お上のお墨付きがあるから安全ということだから。これには二種類あり、お上を妄信している単純な医師であるか、お上を信じたと言えば自分が責任を追及されないと計算している医師である

 だから、医師が大丈夫とか安全とかいうのは自分の立場についてのことで、患者の命のことではない。このような処世術を駆使しないと医師は務まらないだろう。


 こういうことは過去の薬害で散々あったこと。

 なんで、せっかく多くの犠牲を払って得た教訓を生かさないのか。忘れているどころか最初から知らない人が少なくない。これは深刻である。


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