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​炬火 Die Fackel 

 迷惑YouTuberとして反社会的行為を繰り返し逮捕歴まである「へまずりゅう」こと原田将大が、やらかした。

 必要不可欠ではない場で『君が代』が強制され、みんな同調圧力に屈しているところで、ベテラン議員(共産党所属)の女性が起立しなかったことを非難し、日本から出て行けと罵った。

 これに共産党が抗議文を出したそうだが、出すべきなのは感謝状だろう。こんな立派な党員がいると広報してくれたのだから。



 また、へまずりゅうに賛同して汚い言葉を投稿しているのは、みんな匿名の無責任なアカウントばかりだった。

 それとは少し違う人も一部にいたが、例えば自民党の地方議員(秋田県)など、便乗しながら自分は少し違うみたいなことを言う姑息なことをしてヒンシュクを買っていた。この人は卒業式などを引き合いに出して、子供たちに権勢に媚びたり人の顔色を伺ったりする嫌らしい人間になれと言っていたわけで、これが日本ではまかり通ってしまう。 これだから日本は品格が悪いのだ。


 そもそも『君が代』を法律で正式に国歌としたのは憲法違反だ。

 憲法は国民が望めば改訂できると規定している。これには当然のこと一条も含まれている。なのに、天皇の半永久的な存続を願う歌詞を強制するのは、国民の自由と権利を否定するもの。したがって拒否する方が合憲で、拒否を否定する方が違憲である。


 ところで中国には、こんな法律がある。

 「国旗掲揚中は、出席者全員が国旗に向かって直立不動の姿勢をとり、敬意を表し、または定められた敬礼を行い、国旗の尊厳を傷つけるような行為は行わない。」 中国国旗法第14条より一部抜粋

 だから、日本の右派は中国の悪口が好きだけど実は同じ考えだと皮肉っている人たちもいる。しかし、それは違うだろう。すでに指摘されているとおり「日の丸・君が代」そのものが歴史的に負っている罪悪を「マナー」や「強制」の問題にすり替えてしまっている。


 もともと中国の国歌はパルチザンの歌だった。

 中国のほかにも歴史的な歌を記念に国歌としている国は、フランスなど他にもある。そして中国の国歌は「立ち上がれ、隷属を拒め。敵の砲火をくぐり抜けて前進、前進、前進だ」という歌詞である。こういう内容の歌だから、権力により強制されることは嫌だとしても、歌詞が嫌だとは言わない。これについて中国人の若い人たちに色々と聞いたことがあるけれど、歌詞の内容そのものに反対は無いということだけは一致している。


 ところが日本の国歌は違う。

 中国の国歌は「奴隷になるな」という歌詞だけど、日本の国歌は「我々は奴隷です」という意味になる歌詞だから、これを強制されるのは「奴隷になれ」と言われるのも同然である。

 これは英国の影響である。だから英国では、そんな封建的な国歌に反対や拒絶をする英国人がいる。これは結構な多さである。よくサッカー試合のセレモニーでも歌わない選手が話題になっている。

 しかも、敗戦で天皇は米国の下僕にされてしまった。例のマッカーサーの隣で緊張する天皇のツーショット写真や「原爆の犠牲者は気の毒だが戦争だったからやむを得ない」と記者会見でおどおどびくびくして言った裕仁天皇のようなことがあり、それでロシアのプーチン大統領から「抵抗できない状態で二回も核攻撃され多大な非戦闘員の犠牲者が出たのに、そのことを日本は教科書に書くことが出来ず、どこの国から核攻撃されたかもあやふやにされている」という指摘を会見で言われてしまう。



 なるほど、だから自民党を中心とした対米隷属の勢力が国民に『君が代』を強制し、それを拒むと「奴隷が生意気だ。誰が主か教えてやる」と言うように、権力と暴力で迫害する。今回も起立を拒んだ議員には脅迫が相次いでいる。

 

 こんな実態の、どこが愛国なのか。

 それが嫌なら日本から出ていけと言っている人達は、奴隷でいいのだと言っているか、何も考えてないのか、どちらにしても人間らしく生きることを放棄しているのだ。

 これを多くの日本人は知っていて、だから起立を拒否した議員に共感したり、それができないから悔しくて同議員を非難することで自分で自分の心を欺いたりしているのだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 1月14日
  • 読了時間: 2分

更新日:1月15日

 法律に関係するサイトが幾つもある。

 そのうち司法の問題について弁護士を実名で告発するblog形式のものがあって、最近は更新が止まっているが、何年か前に活発に投稿がされていたようだったことが読めば判る。

 その内容には、あちこちからの受け売りが目立つが、必ず補足もされていた。これは、どういうことか。



 その受け売りの内容に補足されているのは独自調査の結果らしい。

 つまり、元のネタは他のサイトからの受け売りでも、あくまでヒントにしているだけで、そこに独自の調査による補足があり、これが結構な詳しさである。

 いったい、この補足は、どう調べた結果なのだろうか。決して面白おかしく脚色したのではなく、ヒントになった他所のサイトを読んで疑問に思った部分に対して、どうやったのかと感心させられるほどの調べ方をしての補足だった。

 

 このblogと同じネタも扱われていた。

 それが、先日の話題だった。警察のガサ入れを受けたことで共産党系の法律事務所の女性弁護士に相談したら「パソコンのデーターを奪われたと言ってもパソコンを取られたのではない。それを問題だと言う貴方は間違っている」と言われてしまった。その後、インターネットバンキングで全財産が盗まれてしまった。そして路頭に迷い、その人は生活保護の相談をしに行き、役所の担当者は、弁護士に相談した結果だという話に驚いた、という話題だった。

 ただし、こちらより先に投稿されていたから、これより前に他で情報を収集する独自調査をしていたのだろう。こちらは、後から大きな事件に発展したから、そこから知ったのだ。その前に、ということであるから見事と言うしかない。

 

 ところが、今年になって削除されていた。

 この部分だけ削除されていたということは、その弁護士が実名告発されたので名誉毀損だと言って投稿を削除させた可能性がある。アクセス数を見ると、ダントツと言っていいから、検索で引っかかり見た人たちがいて、弁護士は困ってしまい、それで担保金を摘んで仮処分で削除をさせたのではないか。法的には、これが最も現実的な方法である。

 しかし、いちおう合法的ではあるけれど、自分の職能にかかわる問題で明らかに御粗末をして、相談者の人生を滅茶滅茶にしたことが一部で話題になったからと、そうやって隠蔽というべきか言論圧殺というべきかの手に出るのでは、弁護士として以前に人間性を疑われることである。

 


 
 
 

 法曹と無関係の事業で自他共に金持ちになった元弁護士が言っていた。

 この人は、金を持っていることが世間一般からよく知られているので、金持ちを装う必要がないどころか不可能である。どうふるまおうと実際に金持ちだから。つまり金持ちを装う人は実際には金持ちではないということだ。

 そして、弁護士の中には金持ちを装う人たちがよくいるということだ。


 金持ちを装う弁護士は、身の回りを高価な物品で虚飾する。

 例えば、背広、腕時計、自動車、など。でも、そんな物に金持ちはこだわらない。金持ちでないのに金持ちを装うのは、仕事で成功したと見られたい自己承認欲求である。

 それを、顧客から信用されるためだ、仕事に影響するからだ、と言って正当化する、というよりむしろ自分を説得しようとしているのだ。

 それを見抜いて、その元弁護士の金持ちは言ったそうだ。「顧客が信用するのは、誠実な人柄と態度じゃないのかね」と。



 高価な物品で虚飾するのは、顧客を騙しているのだ。

 これは信用されるというのとは違う。弁護士として腕がいいので儲かっていて、だから収入が多いと見せかけるために、ことさら高級品を購入して見せびらかすようにする。こんなのは顧客を騙しているだけだ。他の弁護士に対して「マウントを取っている」つもりの人たちもいる。

 しかし、その弁護士がいくら優越感に浸っていても、儲かっていることが手腕の良さの証明ではない。


 一等地に事務所を構えていると自慢している弁護士もいる。

 それは弁護士としての手腕が優れているから勝訴ばかりしていて儲かっているのだ、と言いたいらしい。

 これは素人を相手に騙しているだけだ。少しでも司法の問題に関心がある人たちなら、ほんとうのことを知っている。例えば依頼者を尊重せず勝手に相手方と和解に持っていくなど、弁護士にとってリスクが少なく、弁護士だけが確実に儲かるようにする方法ばかりとっていたりする。

 もちろん、弱者の味方をすることは無い。そんなことをしても儲からないから当たり前だが、それ以前に弱者の味方が出来るようになるためには相当な知識と経験と手腕の良さが必要で、それを持ち合わせていないのだ。

 だから、そんなやり方で利益を追及することは、手腕の良さとは無関係である。これを素人は知らない。

 

 だから、金持ちぶる弁護士がいる。

 そんな弁護士に騙されてはいけない。これは依頼したら馬鹿を見るというだけのことではなく、敵対した時にハッタリで脅されても怖がる必要は無いということでもある。  

 
 
 
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