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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年1月2日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年6月23日

 ドイツのバイロイト音楽祭が戦争でもないのに中止となったが、ウイーンの新年演奏会は中止も含めて検討の結果、無観客のテレビ中継で開催となった。こんな事態は初めてだそうだ。

 こうなると、放送で鑑賞だけは出来ても、観光の収入が損なわれた地元は大打撃だろう。


 あのバカげたGoToにしても、感染拡大で中止したのに、観光しか無い地方の知事らが再開を求めている。

 これで思い出すのが、記録破りの大ヒットだった映画『ジョーズ』だ。人食い鮫の犠牲者が出たので、都会から赴任してきた警察署長は海岸に遊泳禁止の立て札を設置するが、これを市長に撤去させられる。打ち上げられた無残な死骸は、鮫に襲われたのではなく、溺死体が船のスクリューに巻き込まれた。「そうだな」と凄む市長に、検視官が仕方なく頷く。観光で市の財政は成り立っている。これから海水浴の書き入れ時だから、人喰い鮫が出たなんて事実は認められない。そして次々と犠牲者が出て、この遺族に警察署長が殴られてしまう。隠蔽の責任は現場に押し付けられるのだ。



 ところで、バイロイト音楽祭について、カール=マルクスは「バカ騒ぎ」と批判したそうだが、ウイーンフィルの『ニューイヤーコンサート』は金持ちそうな観客たちが客席に蟠踞しているのを見て反感を覚える人もいる。

 アーヴィング原作の『ホテル・ニューハンプシャー』では、ブルジョワジーのたむろするオペラハウスを極左過激派が爆破しようとして、これを阻止した主人公の父親は爆発で重傷を負い失明してしまう。


 大阪では、貧民窟で生まれ育った橋下徹という弁護士崩れが、テレビと与党の力で知事になり、表面的には自民党に媚びながら、自らのルサンチマンで伝統芸術とクラシック音楽に憎悪の炎を燃やし、文楽を面白がる人は頭がおかしいと暴言を吐いたり、ブルックナー交響曲の演奏で世界的な評価を受けている大阪フィルの補助金を打ち切ったりと、芸術を迫害した。

 かつて慶応大学の竹中平蔵教授は、同大学伝統である新自由主義経済学の立場から、貧乏人が金も払わずクラシック音楽を聴くなど生意気だからFMステレオ放送を廃止せよと主張したが、この真逆が橋下徹であり、彼は貧乏の僻みから文化芸術を憎悪して完全否定なのだ。


 チケットが手に入らなかった者にとっては、無観客のコンサートホールは妬ましくなくていいが、あまりそういうことを考えると、竹中平蔵や橋下徹の両極端の根性曲がりと同じになってしまうから、気を付けないといけない。




 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2020年11月5日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年6月24日


 先日、NHK‐TVで、死んだ筒美京平の30年前に無用の長物となった偉大な才能について特集していた。

 この番組の趣旨は筒美京平を賛美することだったが、それでも90年代になると筒美京平の楽曲がヒットチャートに昇らなくなった事実を指摘していた。その象徴的な現象として小室哲哉らの台頭が紹介されていたが、こうなったのは世代交代ではなく時代の変化によってのことであった。

 それまでは、テレビを日本国民が皆で同じように観て、レコードの売り上げや放送へのリクエストによって歌の人気に順位がつけられていた。これが昭和という時代だった。しかし社会の成熟によって否定されたのだ。これは当時から言われていた。

 つまり、筒美京平のキャリアは昭和と共に終わったのだ。

 もともと筒美京平はレコード会社の社員だったから、売るための作曲をしていた。その師匠は、すぎやまこういち。

 もちろん、すぎやまこういちも、あくまで売るための音楽を作っていた。だから筒美京平は弟子入りしたのだ。しかし、すぎやまこういちは時代の変化に合わせて恥も外聞もない処世術を奏していた。『学生街の喫茶店』で茶を飲み話したりしなくなった若者たちが失語症も同然となってビデオゲームにのめりこむようになると、『ドラゴンクエスト』の音楽でパクリと言われようと売れて、インターネットの時代になったら『2ちゃんねる』を熱心に訪問してネトウヨ発言をせっせとするようになった。

 この甲斐あって、弟子が死んだのを尻目にネトウヨ政権から表彰された。これも、ある意味で「偉大な才能」だろう。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2020年7月16日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年6月24日

 エンニオ­=モリコーネが亡くなった。イタリアの作曲家だがハリウッド映画にもよく曲を提供し、アカデミー賞の候補になったこともある。晩年には外国の作曲家でありながら長年にわたりハリウッド映画にも貢献したということでアカデミー賞の特別功労賞を受けた。

 彼が得意とされたのは、マカロニウエスタンなどと呼ばれるスペインでロケしてメキシコとの国境あたりに見せるイタリア製の西部劇と、ジャローと呼ばれる犯罪サスペンス映画だったが、これについてモリコーネは仕事だからやっていただけで好んでいたわけではなく、むしろ暴力的だから嫌いだと言っていた。

 仕事だからやっていたと言えば、ハリウッド映画を中心に作曲していたアメリカのジェリー=ゴールドスミスも、キャリアの初期にアカデミー賞の候補になった『いつか見た青い空』を映画音楽のコンサートで必ず取り上げ、殺しと暴力がない愛すべき良い映画であると言っていたが、そう言ったインタビューの直後に『ランボー』の音楽を担当していた。

 エンニオ=モリコーネは日本の映画に音楽を書いたこともあり、この外国ロケで出演者も外国人の俳優ばかりだった映画『エーゲ海に捧ぐ』は、池田満寿夫が原作監督だった。

 これに出演しているポルノ女優のチチョリーナが後に議員になったことも話題で、テレビで放送されたさい吹替の声優を務めたのがSMのビデオで知られる黒木香というのも話題づくりのためだっただろう。そういうエロい映画として話題だったが物語は真面目で、暴力的でもなく、だからなのかエンニオ=モリコーネは気に入って音楽を書いたと言っていた。

 ここでモリコーネは、他の映画でもよくやるように女声のスキャットを主旋律にしていた。♪ララル~ララル~という歌にバイオリンソロが伴奏する。この演奏をしていたのが佐藤陽子だった。

 これがきっかけで、池田満寿夫と佐藤陽子は「運命の出会い」と言って連れ添うことになるが、この縁を作ったのはエンニオ=モリコーネということになる。

しかし、お互いに不倫だった。佐藤陽子は離婚したが、池田満寿夫は妻が離婚に同意してくれず、それで池田と佐藤は事実婚であった。売れないころに支えてくれた糟糠の妻を、売れてから捨てるというのでは同意してもらえなくても仕方ない。

 そして、佐藤陽子が離婚した相手とは、先日、コロナウイルスによる新型肺炎に感染して死亡した元外交官の岡本行夫だった。

 
 
 
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