吉原展が議論を醸している。
吉原といえば、かつて勤めていた会社で、上野浅草地域と呼ばれる営業の範囲に仕事で行くことを指示されて、その用が済んだあと通りかかったのが唯一である。真昼なので閑散としていて、夜に賑わうのだろうと思わせる雰囲気であった。
そのさい、いかにもボーイという服装をした蝶ネクタイの男が「営業ですか」と声をかけてきた。昼間に背広を着て鞄を持って街を歩いていれば、だいたい営業である。そしてボーイふうの男は「仕事が終わったら遊びに来てください」と広告付きのポケットティッシュを寄こした。
会社に帰ってから、仕事の報告とともに、蝶ネクタイの男に声をかけられた話もした。上司は「だから代わりに行ってもらったのだ。自分で行ったら誘惑に負けそうだから」と言った。そういう誘惑に弱い人であると、他の社員から聞いた。
今、物議なのは、吉原の産んだ文化のことである。
それによって、吉原が貧しい出自の女性たちにとって性的な搾取や虐待の場となってきた歴史と、それが今も続いている実態を覆い隠したり美化したりしてはならない、という話である。
これと似た話は神楽坂の芸者の世界にもある。だからかつて宇野宗助首相が、そこで今でいう援助交際していた事実について、当の芸者の告白を週刊誌が取り上げて、さらにスピルバーグ監督の映画でも知られるアメリカの有名な新聞『ワシントンポスト』が「ジャパニーズプライマルミニスターとゲイシャガールのセックススキャンダル」と報じて騒ぎになったのだ。
国会の質問でも取り上げられて宇野首相は「プライベートなので」として、今でいう「答弁を差し控えさせていただく」ということだったが、その間じゅう恥ずかしそうにしていた。
ところが、性搾取など当然だと擁護したのが三宅久之であった。
この当時、芸者と旦那の関係は昔から当たり前のことであり、何も悪くないと公言していた。いくら自民党の御用評論家として権勢に媚びて弱いもの虐めが商売にしても酷すぎる。このDNAを受け継いでいるとウリにしている息子が、東京狛江市の市議会議員をしている三宅まこと議員である。
また、女性ゆえの苦労を強いられている話に対し、男にも苦労はあると言う人がいる。
だから大変なのは皆同じだと言って否定した気になっている。これは差別主義者の人たちが、よく使う論法である。他にも、経済格差などでも用いられる。
この論法は朝日新聞が学歴で用いてきた。特に八十年代に入ると、その投書欄『声』に「私は家庭の貧困ゆえ進学できず就職に影響している」という投書が載ると次は必ず「私は一流大学を出たけれど就職に苦労している。だから、そんなことは関係ない」という投書が載る連続だった。だから「朝日新聞は、松本清張が悔しい思いをしたことなど知らない人ばかりになったのではないか」と言われた。
そして、その後、朝日新聞は、そうした発想の寵児ともいうべき橋下徹を応援することになる。橋下徹は弁護士として風俗店の顧問か何かをしていたそうで、また米兵の皆さんも風俗店を利用しようと呼びかけて米国から批判された。
こうした背景というか土壌というかがあって、今の吉原展の物議になったのだ。